「覆水、盆に返すべし」

 

 風轍(かぜ・わだち)は、カメラマン志望の高校生である。

彼は今、果てしなく広い多和平の展望台からの風景をフィルムに収めているところだ。

なぜ奈良在住の彼がこんなところにいるかというと、実は彼、学校を無断で休み、北海道に撮影旅行に来ていたのだ。

「ホームページの人気も最近は振るわないし、気合入れていいものを撮らないとな」

 轍は自分のホームページ上で旅の先々で撮影した写真を交えた紀行文を掲載している。

それがなかなか味のある記事で、夏休み中に開設したそのサイトは、口コミで人気が広まり2週間で4万人の訪問者を記録したのだ。

それに気を良くした轍は、夏休みいっぱいを京都の撮影旅行に費やし、HP上の記事を次々と増やしていった。

 そして夏休みが終わり学業が始まると、必然的に旅行に行くことも少なくなり、記事もあまりアップロードされなくなったためHPの人気は下降気味であった。

 その人気を回復するためでもあるのだが、今回の旅には轍にとってもう一つ大きな目的があったのだ。

旅行雑誌記者である父親から紹介された新人写真コンテスト『心光展』。

轍はこのコンテストに自分の最高の一枚を出展したいと強く思った。

最高の一枚を撮るためには最高の場所が必要となる。そこで彼が選んだのが北海道だったのだ。

 彼は家で同然の形でバイクにまたがり、北海道までやってきたのだ。

「まぁ、俺がバイクの免許持ってるなんて誰も知らないだろうからきっといまごろ『そう遠くにはいってないはずだ!』なんていって、奈良市を捜してるんだろうなぁ。しばらくはのんびりやろうな、相棒」

 そういって、旅のパートナーであるバイクを撫でる。

「じゃ、今日もよろしく!」

 バイクにまたがる轍。エンジンを入れると共に、轟音が鳴り響く。

今日もまた、轍の旅がはじまる。

 

 轍は今日、摩周湖に来ていた。ここは、曇っているとなかなかいい撮影ができないところで有名なので、晴れている今のうちに撮影しておきたいと思い、計画していたコースよりも回り道をしてやってきたのだ。

 初めて摩周に来たときに曇っていると、女性なら婚期が、男性なら出世が早いという。逆に、曇りならば遅いという。

今日は見事に晴れていて、轍は複雑な気分になったが、いい撮影ができるのならばとあまり気にしないでいた。

 展望台に上ると、晴天だというのに、観光客が一人しかいなかった。同い年、もしくは少し下くらいのショートカットの良く似合う女の子だ。

轍はその女の子に声をかけてみた。

「やあ」

できるだけ警戒されないように、自然を装ってはいたが、やはり不自然であっただろう。

しかしその女の子は、警戒する素振りも見せず、横目で轍を見て、

「こんにちは」

 とだけいって、また摩周の湖を眺めに入ってしまった。

なんだかマイペースな娘だな、と思い、ふと、自分が彼女の魅力にひきつけられていることに気がついた。

それは別に、美人だとかいうことではなくて、轍の脳の中で、この女の子のことを「かわいい」と認識してしまったということだ。一目惚れに近い状態かもしれない。

「ねぇ、一枚、いいかな?」

 そんな言葉が、つい出てしまった。

「え?」

 少女が轍のほうを向く。

「あ、いや、写真……なんだけど」

 少女は頬をわずかに赤らめて言う。

「え、わ、私は、その、写真写り、悪いから」

 いきなり出鼻をくじかれた轍だが、こんなことで諦めたりはしない。

「でも、君がモデルになってくれたら、きっといいものが撮れると思うんだ。なんかこう、一目君を見たときに俺の頭にビビっときたんだ。なんか、ナンパみたいになってるけど、決してやましい気持ちはないんだ」

 少女はくすっと笑っていう。

「ナンパというより、それじゃ告白ですよ」

 思いがけないことを言われ、言葉を失う轍。

「いいですよ、撮ってください。そんな風にほめられるの初めてだから、嬉しいんです」

「初めてだなんて。君ほどかわいければ、学校じゃ注目の的だろう?」

「そんなことありませんよ。それに、私、病弱であまり学校に行ってないから」

「え……ご、ごめん、変なこと訊いて」

「いえ、いいんです。それに、夏の方が私よりももてると思いますし」

「夏?」

「私の双子の妹なんです。夏のほうは元気で、明るくて、きっと私なんかよりも注目されてますよ」

「そんな、君にだって、十分注目されるに値する魅力はあるはずだよ。ただ、今までは人と接する機会が少なかっただけさ」

「くす、お上手なんですね、え〜と、あの、お名前は?」

「あぁ、そういえば自己紹介がまだだったね。俺は風轍。アマチュアのカメラマンさ」

「かぜ……わだち……?」

「? 俺の名前がどうかした?」

「も、もしかして、『風の轍』の轍さんですか?」

 『風の轍』というのは、轍のホームページの名前である。

「そうだけど……え、知ってんの?」

「はい、開設当時からずっと読んでました。私、病弱であまり外に出られないから、インターネットとかよくするんです。それで、轍さんのページを見つけてからは、毎日の轍さんの更新が楽しみで楽しみで……」

 轍は少女の台詞を聞きながら、感動していた。最初はただの自己満足目的に立ち上げたホームページだったのだが、そんなものでも、こんな俺でも人に感動を与えることができる。自分には、人間は、無限の可能性を秘めているんだ、とさえ思った。

「そういや、君の名前は?」

 ずっと君のままでは呼びにくかったので、この際名前も訊いてみようと轍は思った。

「あ、申し送れました。私、斎藤冬と申します」

 さいとう、ふゆ。どっかできいたことがある名前、と轍は思った。

「……そうか。もしかして冬ちゃん、俺にメールとか送らなかった? 7月の末ぐらいに」

 すると冬は、顔を赤らめて恥ずかしがった。

「ばれちゃいました。はい、私、メールを送りました。轍さんの文章を読んですっごく感動したんで、どうしてもそのことを伝えたくて」

 実際に、そのメールは実に丁寧な文章で冬の感動がきめ細かく書かれており、轍にとっても、がんばろう、と励まされるメールだったのだ。

「そのメール、俺が初めてもらった感想だよ」

「わあ、じゃあ私、轍さんのファン一号ですね」

「二号がいるかどうか怪しいところだけどね」

「あはは……あ、はーい、今行くねー」

「ん?」

 誰に対して言ったのだろう。少なくとも自分に対してでないことはわかる。

「あ、夏が下で呼んでますので、もう行かなきゃ。これ、私のメールアドレスなんで、よろしかったらどうぞ」

「あ、ありがとう。きっと、メール送るよ」

「はい。それじゃ、轍さん、さようなら」

「じゃあね」

 そして展望台には轍一人だけになった。

「さて、人物写真も撮れたし、そろそろ湖を撮りましょうか」

 などと独り言を言いながら、撮影を再開する。

しばらくやっていると、後ろから聞き覚えのある声がした。

「あ、先客がいる」

 冬ちゃんの声、と思い、振り返る轍。

「やぁ、また会ったね、冬ち……」

 だが、そこに立っていたのは冬に瓜二つの違う雰囲気の人間だった。着ている服も冬とは違うし。

轍は悟った。夏ちゃんに違いない、と。

「君、夏ちゃんだよね?」

「初対面でその呼び方は失礼だと思うな」

 そっけなく言い返されてしまった。

「って、なんであんた、あたしの名前知ってるの?」

「あ、それは……」

「あ、わかった、あんた、冬ねえの知り合いでしょ?」

「う、うん。風轍っていうんだ。よろしく」

「轍? あんた、なんとかっていうホームコテージとかで旅行してるとかって人?」

 言いたいことはなんとなくわかるのだが、やはり知らない人にはなんのことかさっぱりわからないであろうネット用語に少し問題があるのではないかと思う轍。

「まぁ、あってると思うけど」

「なぁんだ、やっぱり冬ねえのいってた轍か。冬ねえもこんなのがいいのかなぁ? 物好きねぇ」

「こんなの?」

 自分に向けられた悪口に傷つき、悲しむ轍。

「かわいくないな、君は」

「何よ、私はかわいいわよ」

「自分で言うか? 普通」

「だって、冬ねえがあんなにかわいいんだもん。同じ顔の私もかわいいはずよ」

 なるほど言われてみればそうである。

しかし、自分で自分のかわいさに自覚があるとは、困ったものである。

「夏のほうは元気……か。元気すぎるような……」

「なんか言った?」

 途端に夏が轍を睨みつける。

「なんでもないですよ」

 すっかり元気をなくしてその場から立ち去ろうとする轍。

その時、眼鏡をかけた男が轍の横を通って夏に駆け寄った。

その男は夏を見つけると、ほっとしたように言った。

「こんなところにいたのか、斎藤さん。さぁ、もう帰ろう。気が済んだだろう?」

 男は優しい表情をしていたが、夏の表情には何か怯えたものがあった。

「い、嫌……」

「ダメだよ、いつまでも逃げてばかりいちゃ」

 夏の表情に何か不安なものを感じた轍は男を止めに入った。

「ちょっと、あんた……」

「何だ、君は」

「夏が嫌がって……」

 そのとき、

「嫌ああぁ!」

 叫び声を挙げて夏は展望台から走って出て行ってしまった。

「な、夏……」

 轍は走っていく夏の背中を呆然と見送っていた。

だが、そんな轍にも構わず、男はすごい形相で轍を睨みつけた。

「折角見つけたのに、君のせいでまた捕まらなかったじゃないか。どうしてくれるんだ」

「そんなの、急に言われても訳がわからないじゃないか。事情を説明してくれよ」

「事情? 生憎だが、君には関係のないことだ」

「そんなことが、どうしてあんたにわかる」

「なら、君は何者なんだ?」

「俺は風轍。夏や冬ちゃんとは今日ここで知り合ったんだが、そういうあんたは……」

 男はそこで轍の言葉を遮った。

「風轍だと? 確か、斎藤さんのカルテの……」

「カルテ? あんた、医者なのか?」

「いかにも。斎藤夏さんの主治医をしている。君は冬さんも知っているのか」

「え、えぇ」

 相手が目上の者だとわかり、少々言葉遣いに気をつける轍。

「なるほど、今日初めて会ったわけだ。ならば、知らないのも無理はないな」

「だから、何を?」

「いや、やはり君には話すことはできない。主治医としてね、患者の秘密は厳守にしておく決まりなんだよ」

「そんな!」

「じゃ、僕は戻らなくてはならない。いいかい、夏さんも冬さんも君の知らないものを抱え込んでいるんだ。彼女たちを見つけたら、すぐにここに連絡してくれ。それが、彼女らのためになるということを、忘れないでいて欲しい」

 といい、医者の男は携帯電話の番号らしきものを書いたメモの切れ端だけを轍に渡し、早々に去っていってしまった。

とはいっても、轍にはまだわからないことだらけだった。

あの男が夏の主治医?夏は何かの病気にかかっている?病弱な冬ちゃんに比べて元気だというのに?実際、さっきまでの様子もとても病気とは思えないものだった。そして、次に夏や冬ちゃんと会ったとき、どうすればいいんだろうか?

 様々な疑問が轍の中を渦巻く。

 

 次の日、轍は摩周湖よりも北方の宗谷岬まで来ていた。今、轍は日本最北端の地に立っている。

前日の夜に冬からのメールが来ていて、今日は宗谷岬にいくので、会えるといいですねとの記述があったからだ。

正直、轍は冬に会いに行くのを戸惑っていた。本当のことを知るのが怖いのだ。

 しかし、長時間考えてみて、気にすることはない、今日と同じように接しよう、と思い、会っても夏の主治医だという男に連絡をするつもりもなかった。

「冬ちゃん! ここだよ」

 轍は日本の最北端から冬を呼ぶ。

それに気付いた冬が轍のほうに向かって少し小走りに近づいてくる。

「来てくださったんですね、轍さん」

「あ、あぁ」

「森下さんに会ったんですか?」

「森下?」

「夏の主治医です」

「あ、いや……」

 いきなり真相をつくような質問に、轍は戸惑った。

「……昨日、夏から聞いたんです」

「そう、だったのか」

「病気が何なのか、とか、気になりませんか?」

「そんな……俺はそんなこと、気にしてなんか……」

「轍さん、嘘は……嘘はよくないんですよ」

 轍は自分の心が見透かされたような気がしてはっとした。

「冬ちゃん……。正直なところ、何の病気なのか、どういう事情なのかすごく気になるんだけど、嫌なら、話さなくてもいいから」

「いいえ、轍さんになら、すべてお話できます。夏との約束も果たせましたから……う、あぁ! 頭が……痛い」

 急にうずくまり、苦しむ冬。

「ど、どうしたんだ?」

「割れ……そう……」

 その時、後ろから声がした。

「だからいわんこっちゃない!」

 振り返ると、夏の主治医、森下が走ってくる。

冬は、森下の姿を見た瞬間、

「嫌あぁ!」

 と叫び、どこかへと走り去っていってしまった。

「冬ちゃん!」

「冬? ……そうか、なるほど」

「も、森下さん! 事情がどうなってるのか知らないけど、俺、冬ちゃんのためにできることなら……」

「あるよ、君にしかできないことが。君はもう、関係者だ。それに、君にならすべてを話すことができる」

 冬からも聞いた台詞に違和感を感じる轍。

「俺になら?」

「あぁ、僕はこの2年間、夏さんの主治医をしてきたが、彼女のような患者は初めてでね」

「でも、なんで冬ちゃんまであなたのことを恐れるんですか?」

「ん、そうか、君はまだ知らないんだね。……いいかい、これから話すことを聞いても、後悔しないと約束できるね?」

「は、はい……」

「そうか。なら僕も、包み隠さずにすべてを話そう」

 

「まず、君がさっきまで話していたあの娘は冬さんではなく、夏さんなんだ」

「え? そりゃ、姿は似ていますから、見間違えるかもしれませんが、あの娘は間違いなく冬ちゃんですよ」

「そうか、君は夏さんにも冬さんにも会っていたんだね。いきなり急な話になるが、『斎藤冬』という人間は、実はこの世にはいないんだよ」

「なんですって!?」

「まぁ、興奮するのも無理はないが、落ち着くんだ」

「はい……」

「まぁ、簡単にいうと、夏さんの症状は人格障害。多重人格というやつだ」

「多重人格……」

「うむ。信じられないかもしれないが、夏さんのカウンセリングの結果、夏さんには前世の記憶があるみたいなんだ。今から、その内容を君に話すよ」

 

 時は平安。この時代には陰陽師という官職の者がいた。

陰陽師というのは、貴族に仕えて主に、占いをしたり、式神を使って悪霊を払ったりもしている。

普段の仕事は陰陽術の鍛錬や宮廷の警備、天文学、暦学の研究などである。

 陰陽師は、ほぼ安倍家と賀茂家の2家しかないので、近頃は人材不足になりがちである。

「貴様ぁ! その様は何だ!」

 怒声を浴びせられたのは、元安倍家総領主安倍保名(あべの・やすな)の長男、安倍晴明(あべの・せいめい)の弟、安倍轍(あべの・わだち)である。浴びせているのは、賀茂家総領主賀茂継道(かもの・つぐみち)の長男、賀茂光栄(かもの・みつよし)である。

 現在、陰陽師たちは式神を呼ぶための術の鍛錬中であり、どの者も一所懸命に気を練っている。

そんな中で、光栄だけが、全員に指導をしていた。

 なぜ、安倍家と賀茂家の者が同じ場所で修行をしているかというと、安倍家総領主安倍保名は晴明と轍がまだ幼いときに謎の病でこの世を去ってしまったのである。母親の楠葉(くすは)は轍を産むときに死去してしまっていたので、家を継げなくなってしまった二人は、賀茂家に門下生として養ってもらうことになったのだ。

 入った直後は有望な保名の跡取りとして注目され、二人の陰陽師としての能力の向上も著しかったが、正当な賀茂家の血筋の者は新参者である彼らの活躍をあまり好ましくは思っていなかった。

特に同い年である轍と光栄は非常に仲が悪く、何かとつけてすぐに喧嘩をしていた。

しかしかたや一介の門下生、かたや賀茂家の血筋を受け継ぐ者。面と向かった喧嘩が許されるのは、世間体もわからぬ少年期までであった。しかし、この年になってもまだ光栄は轍を目の敵にしており、何かにつけては権力を利用して轍に対して辛くあたっていた。

 対する轍の方は、そんな光栄のことをいつまでも目の敵にしてはおらず、ただの鬱陶しい奴という程度に考えていた。

しかし、数日前、晴明と並んで継道をも脅かすといわれた能力を持っていた轍なのだが、急に能力が衰え始めたのだ。本人は一所懸命に気を練っているのだが、どうしても上手くいかないのである。

 周りの人間も轍の異変には気付いており、ただの怠けでないということぐらいはわかるのだが、今まで自分よりも高い能力を持っていて疎んじていた人間が、今は下にいるのだ。皆、轍のことを心配するどころか、優越感の対象にしたり、

中には光栄のようにあからさまに嫌味を言う者もいる。

 こうなると、今までは光栄との身分の差から生じる障害を、自分の能力が光栄のそれよりも優れているという優越感で越えていたのだが、流石に耐えられなくなってきていた。

 そして今、他のものは皆式神を呼べたのに轍だけは未だに気を練っているところに、光栄が喝を入れたのである。

「すでに鍛錬をはじめて半刻にもなろうというのに、貴様はまだ気も練れんでおるのか。やる気があるのか、やる気が!」

 もちろん、やる気があってできるのであればとっくにできているのだが、轍はそんなことは言わずにただ黙っていた。

「ふん、貴様など所詮は宗家の穀潰しよ。私の式神で貴様の命を消すこともできるのだぞ。いっそのこと、殺してやろうか?」

 その時、部屋中に細い声が響いた。

「兄さん!」

 その声を聞いた光栄は、急に表情が緩んだ。

彼女らは、賀茂家の長女と次女、冬と夏。

轍たちが賀茂家に来たときから接しており、今は轍や晴明のことも「兄」と呼び慕うようになっている。

「ちょっと、光栄兄さん、今のはないんじゃないの? 轍兄さん、かわいそうじゃない!」

「な、何を言うか、夏。私はただ、こやつに指導をしてやろうとだな……」

「嘘よ。指導なら、殺すなんていわないわよ」

「そ、それはだな……」

 光栄と夏の口論中に冬が轍に話し掛ける。

「轍お兄様、大丈夫ですか?」

「……あぁ、気にするな、冬」

 そこに晴明もやってきた。

「兄上! 鍛錬中、姿が見えませんでしたが、何処へ?」

「継道様に呼ばれたのだ」

 轍にそう言うと、今度は光栄に向かい言った。

「光栄様! これより継道様より重要なお話があるとのことです。皆を集めて、大広間のほうへ誘導をお願い致します」

「晴明か。うむ、ご苦労。では皆の者、準備が整い次第、大広間に向かうのだ」

 皆に指示を下すときの縦の関係をきちんと踏まえる晴明の行動に気を良くする光栄。

晴明は、ぼそりと呟いた。

「あいつは、まだ子供だな。継道様もさぞ大変であろうな」

 

 そして、全員が大広間に集合した。

「ねえねえ冬ねえ、どんな話なのかなぁ?」

「静かにしていなさい、夏」

 そして継道が入ってきた。

「皆の者、父上の御前なるぞ。低く、低く!」

「もうよい、光栄よ。皆の者、今日皆をここに集めたのは他でもない。見てもわかるように、私はもう年で、そろそろ引退も考えておる。そこで、新たに宗家を継いで帝のお役に立たせていただくべく指導者、要するに総領主を決めておかなければならん。そこで今日は、私が大安心を持って宗家を預けられるものをこの場において指名したいと思う」

 誰もが、光栄が指名されると予想した。

だが、大波乱が待っていた。

「晴明よ」

「はっ!!」

「なにっ!?」

 返事をし起立をする晴明。そしてそれを睨みつける光栄。

途端に光栄が立ち上がり継道に詰め寄った。

「父上、血迷われたか! 宗家の主に血筋ではない者を選ぼうとは。父上は賀茂家を潰そうというのですか? それは私の能力は晴明に劣るかもしれませんが、私とて鍛錬中のみ。このぐらいの差、すぐに返して見せましょうぞ……」

「かぁーつ!」

 継道が光栄の言葉を遮り、一喝する。

「愚か者! 能力の問題ではない。光栄、貴様は晴明に比べて精神的にもまだまだ未熟だと言っているんだ。それがなぜわからぬ」

 そういわれ、光栄は絶句した。

そうして、その場は解散となった。

 その夜、冬は轍の部屋に来ていた。

「光栄様があんなことを言われて、冬は嫌だったろう?」

「……うん。でも、仕方のないことだと思う」

「強いな、冬は」

「無理してでも強がらないと、夏の元気さにはついていけないから」

「はは、そうだな」

「……お兄様。あの話は……どうですか?」

 そういわれて、急に顔を赤らめる二人。

「あ、あの……私を、私を、轍様の妻として、受け入れてくださいませ」

 冬からの求婚であった。

しかし轍は、永い間、彼女からの求婚を妹のように見ているからとか、身分違いで自分にはもったいないとかで断り続けていたのだ。

しかし、てこでも動かない冬の強い意志に心を打たれ、自分もだんだんと冬の女としての魅力にひかれはじめていることに気がついてきたのだ。

「うん、その……こんな私でよろしければ、是非、冬様を妻として受け入れさせていただきます」

「お兄様……」

 冬は瞳に涙を浮かべて喜んだ。

その時、

「うわあぁぁ!」

 屋敷じゅうに響き渡る悲鳴が聞こえた。

「何だ!?」

 轍は咄嗟に部屋から廊下に出た。

向こうの方から煙が出ている。屋敷のどこかで火事が起こっているようだ。

その時、晴明が轍の心に、心話で直接話し掛けてきた。

「大変だ、轍。光栄様が暴動を起こしている。皆を避難させて、おまえも早く逃げろ」

「そんな! 兄上は?」

「私はここで光栄を食い止める。継道様は光栄に殺されてしまった。あいつを止められるのは私とおまえしかいない。だが、おまえは今、能力が使えない」

「継道様が? 光栄はそんなにも力を?」

「いや、光栄は藤原道綱(ふじわらの・みちつな)と芦屋道満(あしや・どうまん)を仲間につけているのだ」

「なっ、それじゃあ兄上一人では……」

「だから早く逃げろといっている。冬を頼んだぞ。そこにいるんだろ?」

 そういって、心話は中断された。

もっと言いたいことはあるのだが、能力のない今、自分から気を発することはできない。

自分の能力のなさを恨む轍であった。

 轍は冬にことの事情を説明した。

「そんな、光栄お兄様が!?」

「あぁ、だから冬は、早く逃げるんだ」

「轍お兄様は、どうするおつもりですか?」

「夏を捜して、一緒に逃げ出す。それまでは、他の皆と一緒に逃げてくれ。いいな?」

「……はい」

 轍は煙の方向へと走った。すでに屋敷は炎上していた。

轍は夏を見つけても、安全な場所に移すだけで、自分も戦いに向かおうと思っていた。

そのために、いつか戦乱の世になった時のためにと用意していた刀を一本部屋から持ち出していた。

能力の使えない轍が今戦う手段は武器を使うことしかないのである。

「煙の出ている部屋! あそこか?」

 轍が部屋に入ると、燃え盛る炎の中で晴明と何人かの人間が戦っていた。

「兄上、俺も加勢する!」

「轍! なぜここに? あれほど言ったろう!」

「兄上一人に任せておけるか!」

「轍、おまえ……」

「死ぬときは一緒だ、兄上」

 晴明と戦っていた3人のうちの一人、藤原道綱が剣を振りかざして言った。

「さてさて、感動の兄弟物語はこれぐらいにしてもらおうかな。君が轍くんだね」

 その道綱に巨体の男、芦屋道満が話し掛ける。

「兄者、晴明はワシに任せてほしい」

「くくく、よいだろう。さて、賀茂家の御曹司の光栄くんには轍くんの相手をしてもらおうかな」

「気をつけろ、轍! こいつらは、普通じゃない」

 晴明が轍に注意を促す。

その直後、光栄の手に、何処からともなく剣が姿を現した。

「何だ、今のは?」

「ふふふ、轍、私は素晴らしい力をこの手にした。もはやあのような物事の道理もわからぬ父上にはついてゆけん。だから私は、賀茂家の血筋以外のものを宗家から排除して血の統一をするのだよ。まずはこの力で轍、貴様に死んでもらうぞ!」

 言うが否や、光栄は手にした剣で轍に切りかかる。

対応して轍も刀を抜き、光栄の剣撃を受ける。

しかし、光栄の剣撃の重圧はものすごく、轍は刀を持ったまま壁に叩きつけられてしまった。

「ぐぅ……な、なんて力だ。げほっ、げほっ」

 続いて光栄は轍に向けて印を斬る。

轍がそれに気付いた瞬間、すでに印は放たれ、轍の体は壁ごと隣の部屋まで吹き飛ばされた。

「かはっ、くぅ……」

「轍、大丈夫か!」

 晴明が轍を助けに行こうとするが、道満が邪魔をする。

「おっと、ワシとの戦いを忘れてもらっては困るな、晴明」

「道満、貴様という奴は……」

「ワシは貴様との決着がつけられるならどういう形でも構わないんだよ」

「ならば、今ここでその腐れきった魂を浄化してやろう!」

「上等!!」

 宿敵である晴明と道満がぶつかりあう。

 轍は光栄の前にひざまづいていた。

「ふふ、どうした、轍? 貴様のあの素晴らしかった能力は何処へ行ったのだ?」

「……光栄、貴様、その力は……」

 すると後ろから道綱が喋りだした。

「光栄くんにはちょっとしたものを飲んでもらっているんだよ。三巴虫といってね、飲むとその者は己の真の欲望のままに動き、その力は通常時の数十倍にもなるのだよ」

「な、なんだと……」

「ただし、副作用もあってね。もしも精神力の強い者が真の欲望に逆らって行動した場合、その者は死んでしまうのだよ」

「貴様、何てものを……」

「さぁ、光栄くん。欲望のままに、轍くんを、殺してしまうといいよ」

 道綱がそう言うと、飼いならされた犬のように光栄が再び轍に斬りかかる。

もうダメだ。轍はそう思った。

しかし、刃は轍の左肩に少し差し込んだだけで止まっていた。

轍が上を見ると、一生懸命に剣を刺し通そうと試みる光栄の姿があった。

 轍は直感で感じ取った。

自分の気で、剣をその位置で止めたのだ。

轍の深層心理の更にその奥から、自分の肉の内部、絶対不可侵の領域を冒されたという限りのない怒りが込み上げて来、それが轍に力を出させたのだ。

「戻った……力が、戻った」

 轍はそのまま剣を押し戻して、立ち上がった。

「くっ、轍、貴様ぁ。力が戻っただと?」

「あぁ、よくも今まで散々苔にしてくれたな。ぶちのめしてやるよ」

「ふふふ、やってみろ。やれるのならばな。来い、夏!」

「夏!?」

 光栄が呼ぶと、何処からともなく夏がすっと現れた。

その夏は虚ろな目をしていた。

「まさか、夏にも三巴虫を?」

「あぁ、そのまさかだよ」

「貴様ほどの男が、情けない!」

「何といわれようと、血の統一のためには手段を選んではおれぬ」

「だからって、夏を巻き込むっていうのか?」

「あぁ、戦いに犠牲はつきものだからな」

 そういうと光栄は、自分の持っている剣を夏に握らせた。

「あぁ、夏。あいつを倒せ。あいつはお前の愛する轍だが、お前を裏切り冬と恋に落ちた轍でもある。憎いだろう?」

 夏の目が見開かれた。

「轍……憎い……」

「さて、轍よ。貴様に夏に手が出せるのか?」

「夏、目を覚ませ。しっかりしろ!」

 轍の声も虚しく、夏は轍に斬りかかる。

「危ないっ!」

 どんっと轍を押して夏の剣をかわし、轍の上に倒れこんだのは冬だった。

「冬!? なぜここに?」

「夏、あなた……轍お兄様を殺めようとするなんて……」

「冬、今の夏は薬を飲まされて洗脳されているんだ。何とかして説得しないと……」

「わかった。夏、目を覚まして! 私よ、冬よ」

「! だ、だれ? あたしの頭の中に直接話し掛けてくるのは……」

「私だよ、夏。お姉ちゃんだよ、ほら。あなたはお兄様に手を挙げたりするような娘じゃないわ。ほら、私たちのところにおいで」

「う……くっ、ああぁ、頭が、痛いいぃ! このぉ、おまえか、あたしを不愉快にさせるのは!」

「不愉快なのは当たり前よ。人は、自分を見てると嫌になるもの」

「う、うるさい! 不愉快なやつめ!!」

「不愉快なら土に帰れ! 三巴虫!!」

 この時、冬の胸には、夏の持つ剣が突き刺さっていた。

「ふゆううううぅ!」

 急いで駆け寄る轍。

「大丈夫か、冬!?」

「ん……はあはあ。私には、夏を助けることは…でき、ませんでした……」

「喋るな、喋らなくていいから!」

「あなたのことを想って逝けることが幸せです。……あなたを愛して死んでゆく私に、会いに……来て……」

 冬は息を引き取った。

「あ、あたし……冬……冬ねえを……」

 夏の肩の上に光栄が手を置く。

「動ずることはない、夏よ。見てみろ。お前の裏切り者は死んだ。後は轍だけだ」

「あぁ……あ……」

 轍が立ち上がり、夏を向く。

「夏、これがお前の欲望なのか? 嘘だろ、嘘だといってくれえぇ!!」

「わ……だち」

 その時、夏の頭の中に、冬の声が聞こえた。

「もういいよ、夏。もう、楽になろうよ」

「楽に……?」

「轍お兄様のそばにいるととっても気持ちがいいんだよ」

「気持ちよくなりたい……」

「なら、こっちにおいでよ」

「うん……」

 その瞬間、夏の姿は闇の中に消えていった。

「何!?」

「夏!」

 光栄も轍も呆然とした。

「そうか、冬が……」

 一人で何かを納得して、轍が再び刀を構えなおす。

「冬、待っていろよ。用事が済んだらすぐにお前のところに行くからな」

 轍は意を決し、右手で刀を握り、左手で印を斬る。

「バン、ウン、タラク、キリク、アクッ!!」

 刀に気が宿る。

「うおおおぉ!」

 一思いに光栄を気で一刀両断にする。

「ぐあぁ……!!」

 ついに光栄も力尽きた。

「片付いたか?」

「兄上!」

「こっちも片付い……かはっ」

轍の前に晴明が倒れこむ。

「油断大敵、というのだよ。まぁ、ここまで頑張ったのだから流石は保名の御曹司たちといいたいところだが、やはり弟のほうが本物だったということか?」

「き、貴様、何を言っている!?」

「まだ君は知らなくてもいいことだよ。じゃぁ、そろそろ終わりにさせてもらおうか。我ら土蜘蛛の理想郷の再建も急がねばならんのでな」

「言われずともぶっ飛ばしてやるよ!」

 轍の中に夏と冬の声が響く。

「焦っちゃダメよ、兄さん」

「頑張って、お兄様」

 しかし、轍が斬りかかろうとすると、道綱は剣をしまい出した。

「どういうつもりだ?」

「……気まぐれというかね。君に戦う理由はあるのかね」

「理由だと?」

「そうだ。光栄くんは血の夢のために戦っていた。大義のある戦いだ。君は何のために戦っているのだ?」

「何のためにって、そりゃ今は夏や冬の仇でもあるけど、でも大前提として、人間の自由な生き方のためにこの仕事をやっている」

「自由……?」

「あぁ。そりゃなにも、人間に限ったことじゃないけど、命あるものは皆、水、土が原点だろう。光栄は血に拘っていたが、その原点は何処にある。水だろ、土じゃないのか! 今は平和な世の中になっていて、戦乱もないけど、いつまたこのような戦いが起きるかわからないんだ。だったら、それから自由を守るためには、血がどうのこうのなんてことに構ってる暇はないんだよ。そんなことでもめるなら、賀茂家の中だけでやってくれ!!」

「生命の原点……か。そうか、どうやら私には戦う理由がなくなったようだ。退散させてもらうよ」

「え、お、おい……」

「案外、君と我々とは気が合うのかもしれないね、では」

 そういって、道綱は消えていった。

 

「……と、こういう記憶だそうだ。夏さんの話によると」

「随分と具体的な記憶ですね」

「現実的な感想を述べるな、君は」

「いえ、現実感なんてとっくになくなっていますから」

「兵だな」

「で、結局どういうことなんですか?」

「要するに、前世では冬さんも夏さんもいたんだが、今世では夏さんしかいないんだ」

「なるほど」

「そして、姉を想う夏さんと轍を想う冬さんと冬さんのことを嫌う夏さん。この3つの要素のせいで、夏さんは今、複雑な多重人格症状に陥っているんだ。そして、僕が思うに、今冬さんの人格が会いたがっている轍っていうのは、君のことじゃないかと思っている」

「多分、俺だと思います。確証はないですけど、あの記憶を見て、なにかしらの実感はあるんです」

「なら、間違いないだろう。やはり、君でよかった。あ、そうそう、君のホームページ、見せてもらったけど、なかなか良かったよ。ああいう文章を書ける君になら、心置きなく相談できるよ」

「ありがとうございます」

 少し恥ずかしかったが、誉められたことは素直に嬉しかった。

「で、本題なんだが、君に、冬さんの人格と別れて欲しいんだ」

「……そうですか」

「やってくれるね? それが、夏さんのためにも冬さんのためにもなるんだ」

「……わかりました」

「ありがとう。それじゃあ、明日の午前10時に夏さんは利尻に行くそうだから」

「はい、ありがとうございます」

「……最後に、一つだけ、言っておく」

「……」

「こぼれた水は、また汲みなおせばいい。ただ、それだけだ」

「ありがとう、ございます」

 そして、最後の日が始まろうとしていた。

 

 決別の日がやってきた。

轍は朝からバイクで稚内港に行き、そこからフェリーに乗って利尻島に向かった。

 あの島に、夏が、冬がいる。

冬に別れを告げるのは轍にとっては辛いことだが、記憶を取り戻した轍にもう迷いの色は消えていた。

そうすることで、今世での夏は救われる。自分の人生を取り戻すことができる。

轍はそう信じていた。それが、冬のためにもなるのだと。

だからこそ、こうして覚悟を決めることができた。

 

 利尻島。そこは、夜になると海岸でオーロラが見えることがあるという。

 利尻に着くと、轍は暗くならないうちに夏を捜そうとバイクで観光客がいそうな場所を探し始めた。

だが、夏はすぐに見つかった。オーロラが見えるという海岸にいたのだ。

「夏……」

 轍が呼びかけると、振り返った少女はこう答えた。

「轍さん……やっぱり、来たんですね」

 今の夏は、冬のようだ。

「もうそろそろ、お別れしなきゃいけないようです。轍お兄様にもう一度会えて本当に嬉しいです」

「冬……俺だって別れるのは辛いけど……」

「ありがとうございます、約束を守ってくれて」

「あぁ。俺は、輪廻の輪を越えて、こうして、冬に会いに来た。こんな形になってはしまったけれど」

「いいんです。私だって、いつまでも夏の中にいるわけにはいかないでしょう?」

「そう、だよな」

「やっぱり、嘘はよくないんですよね」

 冬は、申し訳なさそうにうつむくが、すぐに顔をあげて言った。

「夜になるまで待ってください。オーロラが見えるまでは」

「オーロラ?」

「はい。夏はここでオーロラを見たときに、私のことや、昔のことを思い出したんです。だから、もう一度オーロラを見れば、私も夏から出られると思います。ちょうど今日は天気もいいですから、きっと見られます」

「そうか。じゃあ、それまで俺も最期の時間を過ごすとするよ」

「……轍さん」

「なんだい? 冬ちゃん」

「あの、私がいなくなっても、自暴自棄にならないでくださいね」

「大丈夫、とは言い難いけど、努力はするよ。あ〜あ、なんで俺たち、前世からこんな悲恋続きなんだろうね」

「時が流れるからです」

「時が?」

「人は成長するんです。だから、絶えず変わり続ける。だからこんなにも、一瞬一瞬が尊い、儚い、切なくて、悲しい……」

 冬の瞳に涙が溢れてきた。

「冬ちゃん……」

「轍さん、私……あなたといつまでも一緒にいたいです」

「俺もだよ。切に願う」

「なら、私と一緒に来ませんか?」

「え? 行くって、どこへ?」

「私と、轍さんだけしかいない場所へ……」

 冬がそう言うと、急に轍の意識が朦朧としてきた。

 

 気がつくと、轍はどこかで見たことのある歩道橋の上に立っていた。

歩道橋の下には、数多くの自動車が走っているが、轍には何の音も聞こえなかった。

轍はなぜか、実体のない、つかみ所のない景色を見ているような感覚だった。

歩道橋を潜り抜けていった自動車は再び地平線の向こうから走ってくる。

繰り返し、同じ光景が轍の眼前にさらされていた。

「なんだ、これは?」

「ここは、私たちの『えいえん』です」

 冬の声が聞こえた瞬間、轍の眼前に別の風景が広がった。

それは、白一色の風景。見果てる限りの雲であった。

「冬……ちゃん……?」

「気に入っていただけましたか?」

「『えいえん』って……?」

「時の流れのない、私たち以外誰もいない、永遠に続く私たちだけの世界」

「何だって、こんなところに……」

「だって、私たち、愛し合っているのに、いつも悲しい終わり方しかできない。それじゃ悲しいままじゃないですか。ここにいれば、私たちは今のままで過ごせます。ここには、『えいえん』があるんです」

「『えいえん』……。俺と、冬ちゃんだけの……」

 しばらく、轍は自分の神経の中を泳いでいた。

もう一人の自分と会話がしたいと思ったのだ。自分の奥に眠る、本心と。

「これは、君の望んでいたものじゃないか」

「でも……こんなことって……」

「ここはいいよ。ここなら、流れに身を任せているだけで、生きていける。けど、時は流れないから、年はとらない。何もしたくないときは、何もしなくていい。何も考えたくないときには、何も考えなくてもいいんだ」

「このまま僕たちは、どこへいくの?」

「……あの雲を見て御覧。あの上にはね、羊たちがいっぱいいるんだ。でも、雲が割れると羊たちはみんな海に落ちていってしまうんだ。どうだい、滑稽だろう?」

「……うん」

「ふふ、でもね、その羊たちは、僕であって、君でもあるんだよ?」

「……僕が羊だったら、その羊はすごく元気で、自分の力で陸地まで泳いでいくんだ」

「もしもこの世界に、陸地なんかなかったら?」

「そのまま、力尽きるまで泳ぎきるさ。人はいつだって、前向きに生きていかなくちゃいけないんだ!」

 轍がそう思った瞬間、目の前に冬の光景が現れた。

「冬ちゃん……。もうやめよう、こんなこと」

「轍さん、どうして? 私は轍さんと一緒にいたいんです」

「俺だってそう思う。けど、残された夏はどうなる? 唯一の心の拠りどころである冬ちゃんを失うんだ。俺がそばにいてやらなきゃ、夏はダメなんだ!」

「轍さん……」

「本当に、冬ちゃんには申し訳なく思っている。昔っから、俺はこうして、君を満足させることさえできなかった」

「轍さぁん……」

 冬が泣き崩れる。

「やっぱり、嘘は、いけないことでした。『えいえん』なんて、最初からなかったんです。これは、私の幻想の世界なんですから」

「冬ちゃん……こぼれた水はまた、汲みなおせばいいんだよ」

「でも、私はもうすぐいなくなります。悲しいけど、仕方ないです」

「いや、いなくなることはない。冬ちゃんは俺の中で永遠に生き続ければいいんだ」

「轍さん……?」

「俺の中なら、問題はないだろう? 俺だって、冬ちゃんがいるってことを認識しているわけだし」

「なら……」

「あぁ、俺たち、ずーっと一緒だ!」

「嬉しい! 轍さん!」

 冬が笑顔になった。ぱーっと、弾けそうな笑顔だった。

 

 意識が戻った轍は、もうすでに夜になっていることに気がついた。

空を見上げると、この世のものとは思えないほど綺麗なオーロラが空を、宇宙を走っていた。

それを見上げる、少女の姿が轍の前にあった。

 轍は、その少女に声をかけた。

「よっ、夏!」

 少女は振り返った。

「……あんた、誰?」

「俺、風轍。よろしく! あのさ、よかったらオーロラをバックに一枚、いいかな?」

 そういって轍は、カメラのレンズを少女に向けた。

 

                          <完>