俺の名は、伊能忠孝(いのうただたか)。この学校を陰で牛耳ってる(と思い込んでいる)高校二年生だ。この間も着実に大人への階段をまた一段上ったところだ。ふふふ、このグレート伊能にかなう人間はすでにこの星には50億人もいないだろう。ほぅ、噂をすればなんとやらだな。ちょうど教室にその崇高な経験をともにした戦友が入ってきたではないか。どれ、周りの愚民どもを差し置いて大人の会話と洒落込もうではないか、友よ。
「よぅ、タカ。いつも冴えない顔してんなぁ」
俺の席を通り過ぎる前に、正面から37度のアングルから流し目を送りながら話し掛けてきたのは、俺の幾人もの友人の一人、輩一(ともがらはじめ)。といっても、俺、友達数人しかしないけど。彼曰く、この角度が一番かっこよく見えるらしい。素でも十分かっこいいくせに、おまえはホストか。こいつは俺のただ一人の悪友といってもいいだろう。真珠湾攻撃、桜田門外の変、エアフォースワンなどなど、共に潜り抜けてきた修羅場の数がそんじょそこらの高校生とはわけがちがう。さて、次はどんな任務を遂行しようか。
俺がよからぬことを考えてにやけていると、悪友は呆れた顔をしてぼやいた。
「あのな、タカ。もうあんなことするのやめようぜ。マンションの屋上から池の鯉に石投げたりとか課題を多く出した先生に黒板消しくらわせるとか遅刻しそうだからって後輩の自転車奪うとかさ。いい歳してすることじゃないぜ」
「な、なに! 貴様、共謀者のくせして、裏切るつもりか!」
「俺はあのマンションの住人だし、先生の荷物運び手伝ってただけだし、自分の自転車に乗ってて現場を通り過ぎただけだぜ」
「ううぅ、俺は悲しいよ。ついこの間、共にアダルトへの進化を遂げた同胞だと思っていたのに……」
「はぁ? なんだそれ」
「ほらっ、よく思い出してみろ。先週の日曜日だよ」
「……あぁ、あれのことか。おまえなぁ、今どきスノボなんて珍しくもなんともないじゃないか」
「……」
俺の精一杯の成長を、悪友はさらりと言ってのけた。そのまま悪友は自分の席に鞄を置き、顔だけをこっちに向けて言った。
「くだんねぇ事ばっか言ってねェで、やることあんだろ?」
はっ。そういえばそうだった。俺が珍しく遅刻せずに学校に来ているのは、我が校の毎年恒例行事、英語1000問大会があるからなのだ。このイベント、つまるところは英語のアクセント・文法・語法の選択式問題1000問の正答率を全校生で競い合うものなのだが、ことさらに俺をアツくさせてくれる。その理由はこのイベントの名称にある。そう、これは「テスト」ではなく「大会」なのだ。何を隠そうこの伊能、大会と名の付くものには人並みはずれた闘争心を燃やすファンキーな野郎でして。まぁ、こんなイベントを設定する学校側もファンキーだけどな。とにかくそういうわけで、なんとしてもこの俺様が1位をとってしかるべきイベントが今日、行われるのだ。
自分で言うのもなんだが、この高校における俺の実績には目を見張るものがある。まず、入試成績が1位。まーぁすごい、あすこの息子さん、主席入学ですってよ、奥さん。と、当時は近所のマダムにもてはやされたものだ。あぁ、懐かしい。まぁあんなもんカンニングすりゃ楽勝だぜ。運良く隣の奴の名前を全国模試の成績優秀者欄で見たことがあったから、俺の脅威なる視力で覗かせてもらった。こりゃ2位ぐらいいけるんじゃないかと思ってたんだがあいつ、つまんねぇミスしてやがってね、俺でもわかるミスだったから、つい、ね。それで1位ってわけ。てへり。それから一年生の時のマラソン大会、これも1位。先生も観戦者も市の体育連合会とやらも皆怪しみやがってドーピング検査まで受けさせられたけど、そんなもんで俺の不正行為を見破れると思ったら大間違いだ。ま、どんな不正をしたのかは伏せておくけど。って、俺、自分の首絞めてないか……?
で、今回はどんな不正をするのかっていうと……何もしない。今回は自分の力だけで頑張ってみようと思うんだ。留年が怖くて最近やっとまともに勉強し始めたし、ぜひとも自力満点を狙ってみようと思って、一週間前からあらゆる授業をすべて英語に費やしてきた。おかげで教室のチョークの消耗が激しくなったが、俺の栄冠の代償にしては安いものだ。言ったはずだ、俺は大人への階段を上ったのだと。もう自立しなきゃいけないんだ。……っと、理想に思いを馳せていると担当教師が入ってきた。いよいよ始まるのか、俺のトライが!
俺はシャーペンを握る拳に力を込めた。めき、と鈍い音がした。え……マジで? シャーペン壊れちゃった……どうしよう。
「あー、じゃあ席につけー。試験時間は3時間。途中でトイレに行きたくなったらばれないようにこっそり行けよー」
担任の先生が適当な指示を出して問題を配布し始めた。おいおい、やべぇよ、いくらなんでも書くものがなかったら満点どころか一点もとれやしない。俺は悪友の席を向いて口パクで合図した。
(なんか書くもんないか?)
悪友は俺の言いたいことを察してくれたらしく、両手にシャーペンを持って口パクで答えてくれた。
(どっちがいい?)
悪友の右手には青いスケルトンの普通のシャーペンが、左手には俺にはセンスの理解できないマスコットがついたシャーペンが握られていた。
俺が右手のほうを指差すと、悪友は右手の親指を立て、左手のマスコット付きシャーペンを投げてきた。お、おい、そっちじゃないって。悪友は白い歯を出してニカニカ笑っている。くそ、はめられたのか。まぁいい、弘法は筆を選ばず。シャーペンの性能の差が試験の点の決定的な差でないことを証明してやる。
かくして試験が始まった。
二時間後。すでに鉛筆の音は限られた人間の机からしか発してはいなかった。大抵の者はあきらめたか適当な番号を1000個マークして机に突っ伏しているか机の下で器用にメールの文章を打っているようだ。もちろん俺はまだあきらめてなどいない。それどころかかなりいいペースで進んできていて、たった今問800に入ったところだ。だが、重大な問題が生じていた。
(こ、ここまでの800問、Cしか選んでねぇ!!)
俺は心の中で自分にツッコミを入れた。決して冗談でやっているわけではない。俺は俺なりに真面目に問題に取り組んでいたはずだ。そ、それがなぜ、こんなことに……。
待て。落ち着け。冷静に考えろ、伊能忠孝。これでは4択問題であることを逆手にとって4分の1得点狙いの大馬鹿者ではないか。だが、これは考えて問題に答えた結果なんだ、そう簡単に否定するわけにもいかない。俺は多々の焦りを覚えつつ、問801に突入した。
ん? これはAじゃないか? よっしゃ、C地獄脱出だ。やはり勉強したかいがあっ……むむ? いや、違うぞ。ここは仮定法現在の規則から行って、that節の中の助動詞shouldは省略されているはずだから、Aではない。ということは……C、かな。
問801のマークを黒く塗りつぶす。……ダメだ、限りなく間違っている気がしてきた。俺の英語の知識は一体何なんだ? ここまで同じ選択肢が連続するとは……。
俺が悩みに悩んでいると、3回交代した試験監督の先生が終了30分前の合図を告げた。まずい、色々と不安がっているうちに無駄な時間が過ぎてしまった。時間内に解くためには、過去を振り返っている暇などない。前進あるのみ、解き終わった問題を再考するのはなしだ、最後まで突き進んでやる。
そうして俺は猛スピードで残りの199問を解いていき、終了の合図と同時に最後の問題にマークをすることができた。
「ふぅ〜、間に合ったぁ。完答できたぜ」
感嘆の声を漏らす俺。拭った額には汗が滲んでいた。言いようのない達成感に満たされながら俺は、後ろからまわってきた解答用紙に自分の解答用紙を重ねた。黒いマークが一直線に描かれていた。綺麗な螺旋だった。あれでよかったのかな、ホントに……。
答案返却の日がやってきた。この日をどれほど待ちわびたことか。しかし、先生は信じられないことをのたまった。
「あー、毎回毎回、適当な番号にマークして4分の1とろうとかしてる輩が多くいるため、今回は全ての問題において、Cを誤答としておいた。試験はちゃんと自分の実力で受けるように」
なにぃっっっっ。俺は開いた口がふさがらなかった。周囲からは試験を受け取って一喜一憂の声が聞こえる。
「あたし、変だと思ったよ。Cを全然選んでなくて不安だったもん。でも870点♪」
「助かったー、俺、Aだけ選んだんだよなー。Cが全部誤答のおかげで確率が上がってたのかー」
……さてと、今日は西南戦争でもするか。見事に下野したわけだし。
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