「うっひゃー。すっごいねえ。これ、全部参加者?」

ウィブの目の前には暁の石争奪大会に参加する人間が気の遠くなるほど伸びた列がドデンと居座っていた。

「あーあ。こりゃ、あと一時間くらいかかるねぇ」

ロリーナがため息のようにそんな台詞を吐き出す。今、彼女たちはそのドデンとした列のかなり後ろのほうにいた。

「でも、まさかエリスが寝坊するとはなぁ。いつもだったらちゃんと起きてんのに。俺、今日は珍しく早起きだったんだぜ」

そう、いつもならジャックが寝坊してエリスがそれを起こすという構図が出来上がるのだが、今日は正反対の構図ができていた。

「なにかいやな予感がしますな」

「俺はアンコウの化身か?」

「それを言うならタコでしょ」

違う。ナマズだ、ロリーナ。

「ね、ね。喉乾いたんだけど」

それまで隅でしりとりをしていたハリーとアリスがそんなことを言い出した。それを聞くと思い出したかのようにみんなの咽喉が渇きを訴えてきた。

「それならじゃんけんをして負けた二人に買いに行ってもらいましょうか」

「う、私はじゃんけんは苦手なのでありますが」

「運任せのじゃんけんに苦手もへったくれもないでしょ。ほら早く」

いや、結構あるぞ。精神的なものかも知れんがな。

それはさておき、渋るルイスを無理やりこちらに向かせると、ロリーナは高らかに叫んだ。

「じゃーんけーん、、、、」

「ほい」

、、、、、、

「で、いっつもこれだよ。最近ついてねーなぁ」

「うう、やはり私は運がない。神は私を見捨ててしまわれたのか」

人の絶えない大通りの中を、敗者であるジャックとルイスは並んで歩いていた。二人の両手は人数分の飲み物を持って、いなかった。あふれ返るような人ごみのせいで思うように目的の方向へ進めないのである。

「なんか暑すぎじゃねーか?昨日はもっとこう、暑すぎず寒すぎずって感じだったのに」

ここテムズは赤道近くに位置するので一年中夏のような気候なのだが、二ヶ月くらい、気温が下がって過ごしやすくなる時期がある。今はその真っ只中で、快適なはずなのだが、今日は急に真夏に戻った感じの天気だった。

「そうですかな?私は別に何も感じませんが、、、」

「、、、。前から思ってたんだが、お前って人間だよな?」

「失礼な!私は立派な人間です!」

少なくとも立派ではない。ジャックはそう言うのを辛うじて堪えた。

一歩一歩足を動かすたびに汗が吹き出てくる。風は無く、太陽をさえぎるものも無かった。あるのはただ暑さによるダルさだけだった。

目的の店が見えてくる。しかし、人の流れのせいで、思うように前へ進めない。10メートルも離れていないように思えるそこは、この異常ともいえる暑さのせいで冷たい飲み物を求める客が多く出入りしていて、入り口のあたりで人が詰まってしまっていた。

「くっそー。日が暮れちまうぜ。これで売り切れなんて言われたら泣くからな。いや、いっそのこと売り切れてたってことにして帰るか。なぁ、ルイ、、ス?」

ジャックの振り向いた先に果たしてルイスはいなかった。

「おいおい、どこ行ったんだよ」

体を少しひねって後ろの方に視野を広げる。そこに、ジャックは奇妙なものを見つけた。

そこにあったのは、一足の靴だった。いや、実際は目線の高さにまで上がった足。

「、、、は?」

思わずそんな声が出る。そして、ジャックはゆっくりと目線の高さをあげる。

その先には、

「う、うう。た、助けて」

一言でそれを言い表せという問題があったなら、おそらく十人中八人は確実に人間釣り用の釣り竿と答えていただろう。残念ながらそれを見上げるジャックにそのような問題を出す者はいなかったが。

とにかく、そのような馬鹿馬鹿しいものに、ルイスは引っ掛かっていた。

「ぐっ、はぐっ、、」

襟の所に針が掛かっているのだろう。まるで手枷の無い絞首刑者のような感じでブラブラと空中をゆっくりとスイングしている。

「ジャ、ジャック殿。早く助け、、、」

この台詞はジャックの耳には届いてはいたが、彼は黙殺する。彼はあらぬほうを向いていた。そして、その先にはまたもや奇妙なものが存在していた。

思わずため息の出そうになってしまうほど幅の広い通り、とはいってもテムズではどちらかというと割合小さいという部類に入ってしまうのだが、とにかく、このとおりのジャック達のいるちょうど反対側。そこには奇妙な三人組がいた。三人のうち二人はルイスを釣っている竿を持っている。ルイスの体重と鎧の重さはかなりあるらしく、つらそうな体勢と表情である。

「ありゃあ、確か、、、」

別に以前に会ったことがある、というわけではない。しかし、聞いたことならある気がした。確か、ゼナルの話の中に出てきた、トスカネリ、ペリクレス、ガボットという名前だったはずだ。みょうちくりんな三人組だったという印象が残っている。

ドスン。

というような何か重いものが2メートルほどの高さから落とされる音がして、ジャックは振り返った。

そこでは地面に尻餅をついた格好になってしまったルイスが酸素を求めて口をパクパクとしているところだった。

糸が切れたらしい。そういえば、反対側の三人も、その反動がきたらしく、すぐそばの店に勢いよく突っ込んでいた。

すぐに出ればよいものを、なぜか両手いっぱいに売り物であるアプリーリャ(テムズの特産品。程よい甘さで好評だが、カロリーが異常に高いらしい)を持って逃げようとしている。店主が怒鳴りながらそれを追いかけるが、逃げ足は超一級品らしく、追いつけない。

「おい、ルイス。早く立てよ。追いかけるぞ」

「ハッハッハ。そんなに急がなくてもジュースは逃げませんよ」

「ちっがぁぁう!」

そんなことをしているうちに、三人と店主は角を曲がって消えた。

「くっそ。ほら、早く!置いてくぞ」

そういうが早く、ジャックは人ごみの中へ飛び込んでいった。混雑しているとはいえ、そこは盗賊、軽快な身のこなしでどんどん人の合間を縫っていく。

「あ、ちょっと。待ってくだされ」

少し遅れてわけのわからぬまま、ルイスが追う。彼は身のこなしがいいとはいえないが、彼の場合、物々しい鎧と異様に長い刀と巨体のおかげで人々が気味悪がって道をあけてくれる。かくして、彼の周りには半径2メートルほどの円がぽっかりとあいていた。

ジャックが三人と一人の消えていった角を曲がると、

「お、おい。大丈夫か?」

先ほど怒鳴りながら三人を追いかけていった店主が倒れていた。ジャックは抱き起こす。

「うう、、、」

額に大きなこぶができている。ついでに言えば壷の破片の様なものが辺りに散らばっていた。

「おい、奴等はどこへ行った?」

ジャックの声に反応したのか、右手が通りの反対側を指す。そこには果たして三人がいた。ガボットは割れた壷を手にしている。

ゴチ。

これはジャックが思わず店主を放して、店主の頭が地面に当たった音である。かなりいい音だった。これがとどめだったらしく、店主は白目をむいてしまった。

ジャックはあまりそのことを気にしないことにした。

それはともかく、反対側の三人とジャックの目が合った。

「ア、アニキ。あいつら追っかけてきましたよ」

「アニキ。どうします?」

「慌てるな!まいちまえばいいんだ」

「暴れ馬、マイチーズ、バインダー?」

「どー聞けばそう聞こえるんだこのアホが!」

「でも、結構似てますぜ」

「んなこたぁどうでもいい!とにかく行くぞ!」

そんな会話の後、彼らは走り出した。と、同時にルイスがジャックに追いつく。そしてジャックと倒れている店主を見ると、

「ジャック殿!あなたは何ということをするのですか!」

「は?」

「ジュースほしさに人を殴るなんて。見損ないましたぞ!」

「だからジュースの話から離れんかぁぁぁ!」

そうこうしている内に三人はまた街角に消えて行った。

「くそ。待ちやがれ!」

「いいでしょう。あなたの言い分も聞いてあげます。あなたには黙秘権がありますから」

それは黙秘権とはいわないんじゃないだろうか?

「お前に言ったんじゃないって。あのな、この男はお前を釣り上げた三人組を追っかけて逆に三人をぶっ飛ばされたんだよ。わかった?」

この説明を聞いてわかったと答える人は残念ながらそういないだろう。そう答えるのはよほど察しのいい人である。ルイスは察しのいい人間ではなかった。それどころか、

「何と。共犯者がいたのですか。うーん、意外と込み入った事情のようですな」

「、、、あのな、、、」

その後、ルイスの誤解を解き、店主を介抱していたらかなりの時間を使ってしまい、結局ジュースを買って帰るだけになってしまった二人をエリスたちは冷めた目で迎えるのだった。そして、ロリーナが一言、

「遅い」

「いや、、、色々あったんだって」

「たかがジュース買ってくるぐらいで色々あるわけないでしょーが」

あるんだな、これが。

とりあえずジャックがこれまでのいきさつを話す。それを聞いていくうちに、エリスたちの表情がだんだんと真剣なものへと変わっていく。

「、、、と、いうわけだ。わかったか?」

ジャックの口から本日二度目のわかったかが零れ落ちた。

少しの沈黙。

先に口を開いたのはエリスだった。かなり真剣な表情である。

「ジャック、、、」

「あん?なんだよ」

「言ってることがさっぱりわからないわ」

そりゃジャックの説明じゃねぇ。

ジャックはもう一度頭の中で文章を組み立てようとする。が、

「うーん。とにかく大変だった、てことが伝われば俺としては満足なんだが」

ガラガラと崩れていったようだった。

ロリーナがため息をつく。

「じゃっく。あんたねぇ、言い訳するならもっとましないい訳考えてきなさいよ」

「お前な、」

反論を試みたジャックを手で制したのはゼナルだった。その手を前方に向かって指す。

一同はその方向を見るが、別におかしいという訳ではない。

「口で言ってくれないとわかんないよー」

「!ハリー。静かにして」

「エリス。どうかしたんですか?」

問い掛けるアリスにエリスは黙ってゼナルと同じ方向を指す。

前方に見えるのはやはり何ともない光景と、

「あ、あれって。もしかして、ウィブに付きまとってるって三人組じゃない?」

ゴミ箱や看板に身を隠してはいるが、バレバレのトスカネリ達がいた。

「で、どうしますかな?見たところこちらに向かってくる様子はありませんが」

「しかもこっちにバレてるってことにも気づいてないみたいねー」

三人は時折こちらの様子をうかがっているだけで何もしてこない。時々言葉を交わしているが、トスカネリが二人の頭をひっぱたいているところを見ると、またくだらないことを言い合っているのだろう。

「いいわ。相手の狙いはウィブなんだから放っておけばそのうち何かしてくるでしょう」

そして、皆が元の位置にもどる。ハリーとアリスは談笑を再開し、エリスは自分の荷物の点検を続ける。ジャックとルイスはロリーナにまだ言い訳をしていて、ゼナルは近くの柱に背中を預けていた。ウィブは、

「ねえ、あたし今思ったんだけどさぁ」

ロリーナがぽつりと言う。それは向かい合う人の肩に糸くずがついているに気が付いて、それを教えるような(妙なたとえだ)感じだった。

それにつられるようにルイスもこぼす。

「私も妙に思っているのですが、、、」

そして、二人の声が見事に重なった。

「「ウィブはどこへ?」」

、、、。

沈黙。

、、、。

皆がゆっくりと周りを見渡して、、、

ガシャァァァァァン。

何かが割れるような音が少し離れた所でおきた。

そこには黒いローブで全身をすっぽりと包み込んだ人物が、暴れるウィブを抱えていた。

音は暴れるウィブが倒したガラス器のものだった。

「まさか」

エリスは慌てて先程の三人のいたほうを見る。

そこにはもう誰もいなかった。

「しまった。あの三人は囮だったのよ!」

「くっそ。おい、早く追っかけるぞ!」

ジャックがそう言い終わるより早く、ゼナルは飛び出していた。その後に残りの六人が続く。

ウィブはちょうど当て身を食らわされて気を失ったところだった。