『冥王計画羅生門』第10話「バイブレーション・後編」
まったくどうして人間ってのはこうして自分のしたことを後悔したりするんだろう。つくづく煩わしい生き物だと思う。
「……ふぅ」
俺は軽く息をついた。
俺が羅生門にローターを返せと迫って、羅生門が部屋を飛び出してから15分が経っていた。
羅生門は去り際に、目尻に光るものを浮かべていたような気がする。やっぱ……泣いていたんだろうか。最低だな、俺。
そこまで考えて、思考はループを始める。
もうちょっと他に言い方があったんじゃないかと。そもそも今言うべきことだったのかと。熱のせいでどうかしてしまっていたんだろうか。
立ち上がって首を振る。不思議と、頭痛はもうしない。
いろいろとショックを受けて、熱なんかどこかへ飛んでいってしまったのかもしれない。今はただ、羅生門のことしか考えられない。
熱がなくなれば、思考は正常に戻る。しかし、熱があったときに考えていたことを忘れたわけではない。そう、俺ははっきりと俺が思っていたことをおぼえている。
羅生門から、ローターを取り返さなければいけない。
俺は確かに、そう思った。そして、それが正しい判断だということも知っている。
羅生門は身分こそ大学生とはいえ、まだ年端もいかぬ11歳の少女だ。俺への気持ちを、大人の恋愛のそれと勘違いしてしまっていてもおかしくはない。俺は実際に、あいつの気持ちを確認してしまったんだから……。
そうした考えが、熱にやられた異常な状態の脳で浮かんできてしまったのだ。否定するわけには行かない……。
時計を確認する。携帯電話は午後11時を告げている。
俺は脳にちょっとした痛みを感じた。
午後11時といえばもう夜中だ。今日はバイトがないから俺は大丈夫だが、問題は羅生門だ。
こんな時間に、夜の街に飛び出してしまったら。
そんな考えが俺の頭をよぎり、俺は慌てて部屋を見回した。すると、さっきまで俺が寝ていた場所のすぐ近くの床に、あいつが持っているはずのものが落ちていた。
「滅法棍……」
我が家に代々伝わる退魔の力を秘めた棍である。数日前、羅生門に護身用として授けたはずのものだ。これがここにあるということは、今の羅生門には身を守る術がないということだ。
まずい。
直感がそう告げている。世の中には小林薫のような人間が何人もいて、常に幼女たちを狙っているのだ。
そう考えた以上、こうしてはいられなかった。俺は音速を超えて着替え、部屋を飛び出した。これも冥王だからこそなせる業だ。羅生門は、俺にいろいろなものを与えてくれた。この能力もそうだし、それだけじゃない。
俺は、後頭部を掌でおさえた。
……ここにある、撃鉄のような熱い感情も、おまえに与えられたものだ。
だから俺は、あいつを見捨てるわけにはいかない。
滅法棍を握る腕が軋む。
俺は、羅生門を守る。
この棍を授けたときは、せめてもの恩返しのつもりだった。だが、今はそんなつもりはない。羅生門を守りたいんだ。心から。この俺の手で。
俺は夜の街を疾走した。
この街は狭い。探せるところなど限られてくる。公園、小学校、駅、下水道、空……どこを探しても羅生門はいなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
流石に走りすぎて体力の限界が近い。俺は自分の無力さを呪った。あんな小さい子供一人、守ってやる事ができないのかと。
いつの間にか河川敷に来ていた。地面に倒れ、大の字に寝転がって空を見上げる。星なんか一つも見えなかった。真っ黒な雲で、宇宙は覆いつくされている。
手を伸ばす。雲に手は届かない。
途端に、涙で視界がにじむのを感じた。
思えば、羅生門は雲を掴むような存在だった。ふっと俺の前に姿を現したと思ったら、いつのまにか溶け込んで、俺の生活の一部となっていた。だから俺も、安心しきっていた。いつか訪れる変革のときなど、欠片も考えていなかったのだ。
「つっ……!」
脳に小さな痛みを感じた。
なんだろう、この痛みは。わからなかった。考えていても、答えは出ない。ならば考えるのをやめるまでだ。そして答えは、出さずに保留するのではなく、今すぐに出すのだ。
そう。わからないのではなく、わかれないのだ。答えは、自分の中にある。外部からの情報を答えとするならば、俺はもう諦めるしかない。だが、俺は今、答えることができる。それだけの情報と、結果を持っている。
俺は、口を、開いた。
「羅生門」
「なんだ、冥王?」
声は、すぐ隣から聞こえた。
「おまえは、この世界に生きているか?」
多分、俺は、怖かったんだと思う。
「生きている。そなたがわらわを見つけてくれる限り、な」
「おまえが生きている世界はおまえのものなのか?」
だから、今までは他人に答えを求めてきた。
「どういうことだ?」
「おまえはちゃんとここにいて、俺と会話してるんだよな?」
だけど、今は違う。
「ああ。紛れもなく、今、わらわはそなたと話をしておる」
答えは自分の中にあった。それに気付くことができた。
「じゃあ……」
俺は息を呑んだ。
だから、きっと、安心できたんだ。そう、思いながら。
「この世界は、俺のものなんだな」
「ああ」
羅生門は、深く静かに応えた。
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