『冥王計画羅生門』第14話「懐疑と誤算」
 廃ダムの一画、音が高く聞こえた壁の前に俺と羅生門は立った。
「さて……」
 この壁が何かおかしいのはわかった。この向こうにここから脱出する手がかりのようなものがあるかもしれない。そこまではいい。だが、
「冥王、本当にここでいいのか? わらわには、他の場所の壁となんら変わりないように見えるのだが」
 そう。ここの壁が薄いとわかったからといって、ドアが付いているわけでもない。この向こうに行く手段がないのだ。
「んー、困ったなぁ」
「困ったなぁ、ではない。まったく、後先考えずに行動するその性格はあやつにそっくりだな」
「ん? 羅生門、誰のこと言ってるんだ?」
 俺は何気なく訊いたつもりだったのだが、何故か羅生門はひどく慌てた様子だった。まるで失言したかのように。
「あ、いや……ちょっと、そなたによく似た人物を知っておってな。昔のことだ。忘れるがいい」
 忘れろ? なんだろう、羅生門のやつ、俺がそいつに嫉妬してるとでも勘違いしているのか? ははははは、こんなちっこい女の子、相手にするやつは俺のようなロリコンぐらいのものだて。
「羅生門」
 だから俺は言ってやった。
「安心しろ。おまえが過去に誰とどんな付き合いを持っていようと、俺は今の羅生門が大好きだ」
「あ……」
 突然、羅生門が絶句して、見る見るうちに耳まで真っ赤になっていく。
「な、なにを言っている冥王! そんな、こそばゆくなるような……」
 ふむぅ。可愛らしい反応だことで。さっきのキスの余韻がまだ残っているのだろうか。わずかに上気した羅生門の表情は、それを見ているだけで三食分に相当しそうだ。
「そ、そんなことよりっ」
 羅生門が両手をぶんぶんと振って話を変えようとする。
「この壁……本当に向こうがどこかにつながっているとして、どうするつもりなのだ?」
「うーん……」
 俺は甘美な妄想をひとまず置き、腕を組んで再び眼前にそびえる壁を見上げた。
 どっかに穴でもあいてねぇかな。そんなことをおぼろげに思いながらいろんなところを見ていると、
「――!」
 まただ。
 今度は心臓に痛みはない。ただ、聞こえるのだ。それもさっきのように無闇に何でも聞こえてくるわけではない。これは……今、俺が見ている点の音だ。空気の音が聞こえる。ここのものではない。壁の向こうの空気が今までよりもはっきりと聞こえる点があった。
「あそこだ」
 俺はそこを指差した。俺たちが立っている場所よりも3メートルほど高い位置。
「?」
 羅生門は意味がわからないらしく、わずかに首を傾げた。
「あそこの部分だけ、特に薄くなっている。向こう側の音がはっきりと聞こえるんだ」
「な、冥王、また……」
 羅生門が掴みかかってくる。
「あぁ、心配すんなって。今度は心臓、痛くなかったからさ」
 羅生門に心配させないようにと、俺は左手で後頭部に軽くチョップした。
 だが、羅生門が気にかけていたのはそんなことではなかったようだ。
「それは当たり前だ。二度目以降の能力使用に身体的代償はない。だが、冥王、そなたまさか、自分の意思で異常聴覚を使ったのか? それも、狙いすました一点になど……」
「ん、あぁ、そうだけど。それがどうかしたのか?」
「どうかしたのか、ではない! そなたはすごいぞ! 冥王の能力を覚醒からものの数分で使いこなせるようになるとは……これなら」
「そんなにすごいことなのか、これって」
「あぁ、すごいとも。どれくらいまで使いこなせるのだ?」
「ん、ちょっと待ってな」
 俺は精神を研ぎ澄ませ、音を聴こうとした。
 ……。
 そうか。
「羅生門」
「なんだ? なにが聞こえたのだ?」
「今おまえ、レベル5か、6か、って思ってただろ。俺にはなんのことかよくわかんなかったけど」
「えっ……」
 羅生門は驚愕した表情になった。
「そなた、わらわの心の声を聞いたのか?」
「ああ、多分。なんか、集中すると聞こえるみたいだ。あぁ、でもなんか疲れてきたかも。やっぱこれって、精神力の消費みたいなものもあるのか?」
「それは、そうだ。聴心はレベル9とクラスの高い能力だから、それに伴う疲労も激しいはずだ。使用は控えたほうが良いぞ」
「そ、そうだな。それに他人の心を覗き見るってあんまり気持ちのいいもんじゃねぇしな」
 実際、俺はとっくに異常聴覚を解いていた。
 羅生門の、俺を見る目が、なんだか怖くなったからだ。まるで人間じゃないものを見るかのような、心の眼が。なによりも、心の声を聞いたことによって、ますますわからなくなった。羅生門が、一体、何者なのか。
「まぁ驚いてるところ悪ぃが、とりあえずあそこの壁なら俺たちでもなんとかなるかもしれねぇってことだ」
「ふむ……」
 羅生門はまだ考えたりなかったようだが、ひとまずは脱出するほうが優先だと判断したらしく、俺が指差した壁を見上げた。
「具体的にどうするのだ?」
 そんなことを訊いてくる。それがわかればこんな苦労はしていないのだが。
 俺は考えた。なんとか壁の向こうに行く方法を。
 あそこの一点は薄くなっている。ということは、あそこを蹴破るなりぶっ壊すなりなんなりしてあそこから向こう側へ行けばいい。
 ではどうやって壁をぶっ壊すかだ。
 いくつか手段は考えられた。まず素手はおそらく無理だ。俺にも羅生門にも、そんな力はないと思う。
 ならば何か道具を使わないといけない。俺はポケットに手を入れ、サバイバルナイフを探り当てた。……ダメだ。いくら薄いとはいえ、こんな安物のナイフで石の壁が砕けるわけがない。
 ならば他に道具はないのか。俺が持っているもので使えそうなものはもうない。
 となれば羅生門だ。羅生門が持っているものといえば……ピンクローター。明らかにダメだ。何に使うんだそんなもん。
 だとしたら……やはり一つしかないか。
「羅生門、あれ、持ってきてるよな?」
「む、むぅ。こんなところでまた発情したのか?」
「ローターじゃねぇ! 滅法棍だよ!」
「あ、あぁ、そっちであったか」
 羅生門は取り繕うように笑った。
「もちろん、持ってきておるぞ。山は熊が出るかもしれぬからな」
 そういって、羅生門は背中から取り出した棍を伸ばしてみせる。
 そこで俺は、かねてより気になっていたことを訊いてみた。
「なぁ、俺たちはあの高い道路から落ちて、無傷でここにいる。俺は早くから気絶してたからまったくわかんねぇけど、羅生門、なにかしただろ?」
「ふむ……」
 羅生門は少しの間逡巡していたようだが、やがて諦めたように言った。
「羽、羽夢。確かにわらわが、この滅法棍でわらわとそなたを助けたのだ」
「なんで黙ってたんだ?」
「それは……」
 なんて、訊かなくてもわかっていたんだ。羅生門は優しい子なんだ。
 俺は、羅生門の頭を撫でてやり、そのまま胸に抱きしめた。
「わぎゅ」
「あのな、俺が傷つくかも、とか思わなくてもいいんだ。俺はとっくに気付いていたぜ? おまえの棍の腕前がすでに俺を超えてるって」
「……」
 羅生門は黙っていた。
 どうでもいいが嘘八百だ。今考えてみてそう思い至ったに過ぎない。実は内心で結構ショックだった。
「弟子が師匠を超えていくのは当然だろ。俺としては嬉しいくらいなんだ。だから羅生門も堂々としていればいい」
「め、冥王。すまぬのだ、黙っていて……」
 羅生門が唇を噛んで謝ってくる。俺はまたよしよしと頭を撫でてやる。
「もういいって。俺は怒ってないから。それよりも、その棍を使えばなんとかなるかもしれないんだ」
「……どういうことなのだ?」
「羅生門は滅法棍で衝撃波を起こして俺たちの身体を着地寸前で止めたんだろ。ということは、少なくとも俺たち二人分の体重の衝突を支える力はその棍で出せるってわけだよな?」
「羽夢。おそらく、本気になればもっと」
「そりゃよかった。流石にそれだけじゃ石の壁は破れそうにないからな」
「他にも何か考えがあるのか?」
「ああ。音速を超える」
 俺は自分の中に考えを言った。
「なっ……」
 案の定、羅生門は驚愕した表情を浮かべた。
 だが俺は、構わずに続けた。
「音速を超えてあの壁にぶち当たれば、落下時の何倍もの力があの壁に加わると思うんだ。多分、それだけやれば壁は破れる。でもそうしたら俺の身体はおそらく破裂するよな。そこでおまえの出番なんだ、羅生門」
 滅法棍を握る羅生門の手に力が込められる。
「つまり、そなたと一緒に音速を超えて飛んで、壁と衝突する寸前に、滅法棍で衝撃波を起こして急停止する、ということか……?」
「その通りだ。ものわかりがいいな、羅生門は。音速なら、俺のジャンプ力でも、これぐらいの重力下ならあれぐらいの高さまでならたどり着けるだろうし、問題はないだろ?」
「大ありなのだ!」
 突然、羅生門が叫んだので俺は肩をすくめた。
「ら、羅生門……?」
「そなた、さっき異常聴覚の最上級クラスの能力を使ったばかりであろう。本来ならば一週間は安静にしておかねばならぬ状態なのだぞ? それが今また冥王の能力を使うなんて……」
「羅生門」
 俺はしゃがみこんで羅生門と背の高さをあわせた。そして、両手を羅生門の肩に置いて真っ直ぐに目を合わせた。
「俺は責任を感じてるんだ。こんなことにおまえを巻き込んじまったからな。だから、俺の身体は正直どうなってもいいんだ。もちろん、無事に越したことはないけどな。それに……なんか、大丈夫って気がしてるんだ。根拠はないけど、羅生門、おまえとなら、俺はなんだってできる気がするんだ」
「うぅ、冥王ぅっ」
 俺の胸に顔をうずめてくる羅生門。わずかに泣いているようだ。確かに俺は、過酷なことを言ったのかもしれない。11歳の女の子にとって、大切な人の別れというものは普通は想像できない事柄だろう。だが想像できないからこそ、底知れぬ恐怖があるのだと、俺は知っている。だから俺は、包み隠さずにその事実を羅生門に伝えるしかなかった。
 羅生門の頭をそっと撫でてやる。
「ぐすっ……」
「なぁ羅生門、ここから脱出できたら、美味いチャーハン、作ってくれよな」
「冥王……」
 それは絶対に死なないという約束。絶対に二人で帰るという誓約だった。
「羅生門、付き合ってくれるか」
「……ん、もちろんなのだ」
 涙を拭いて、羅生門はもう一度しっかりと滅法棍を握りなおして言った。
「タイミングはわらわに任せると良い。そなたはただ、狙った点に飛べるように集中するのだ」
 それを聞いた俺は安心して羅生門を抱き上げた。というより赤ん坊を抱っこしている状態に近い。
「そんじゃいくぜ」
「羽夢」
 精神を集中し、後頭部の撃鉄に指令を送る。熱くなった後頭部から、全身に血液ではない、なにか熱いものが流れ出す。体が、赤から、青に染まろうとしていた。脳裏に浮かぶのは、おぼろげなイメージ。どこかで見たような、何故だか懐かしいような、大自然のイメージ。次の瞬間、世界は流れた。音速を超えて。




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