『冥王計画羅生門』第15話「インターセプタ1・空の境界」

 気が付いたとき、羅生門は暗い闇の中にいた。
「ここは、どこなのだ……」
 思い出す。自分がどうしたのかを。
 そうだ。冥王と決死の覚悟で廃ダムの薄くなっていた壁を突き破ろうとして……その後の記憶はなかった。
 辺りを見回してみる。闇が蠢いているような気がする。闇が蠢くのは光があるからだ。そう思って後ろを見ると、かすかに光が見えた。どうやらあそこの壁を破ってここに入ってきたらしい。
 ふと気付いた。
 冥王がいない。
 まさか……。悪い予感が頭をよぎる。だがそれは、背後、闇の奥からの声で打ち消された。
「ようやくお目覚めか、扉の鍵となりし姫よ」
「め、冥王?」
 羅生門が振り返ると、そこにいたのは紛れもなく冥王だった。闇の奥から歩いてきたのはよく知った顔。だが。
「まったく無茶をする……と言いたいところだが、我を目覚めさせてくれたことには感謝せねばなるまいな」
 なにかが、おかしい。
 冥王の言動がいつもと違う。尊大な態度はそれほど変わらないが、言葉遣いや、羅生門に対する視線の微妙な違いがえもいわれぬ違和感を作り出していた。
「そ、そなたは、誰なのだ?」
「ほぅ」
 冥王の目が細められる。まるで自分を値踏みしているようで心地が悪い。
「我を忘れたか。無理もない、十一年も前のこと、しかも姫は輪廻の輪をくぐっている。だが、記憶の片隅ぐらいには残しておいて欲しいものだな。生死を共にした戦友としては」
 羅生門には思い当たる節があった。 「ま、まさか……そなたは希須加か!」
 驚いてみせると、冥王は嬉しそうに微笑を浮かべ、正解だと言わんばかりに両手を広げた。
「いかにも。我は先代の冥王、姓を神崎、名を希須加。十一年前の二月十三日、おまえと共に戦い、羅生門を開いた者だ」
「な、そんな、なぜそなたがここに……」
 羅生門は後ずさった。驚きで声も出なかった。
 そんな羅生門の背後、かすかに漏れ入る光に目をやり、冥王は言う。
「しかしつくづく因果なものだな、姫。未だに神崎の呪縛から逃れられず、我が愚息と行動を共にしていようとは……」
「し、質問に答えるがいい」
「何だ?」
「そなたは十一年前、わらわの力を使って羅生門を開き、そして……」
 羅生門は手を握り、身体をわなわなと震わせた。
 それは羅生門にとってつらい過去だが、今は構っていられない。目の前の冥王の姿をした前冥王に言わなければならない。
「自ら望んで冥府に入ったはず。それがなぜ、今、わらわの前に姿を現しておる? それに、その姿は……」
「やれやれ、十一年前にも言ったはずだ。一度に多くの質問をされても困ると。だが、その二つの質問のどちらかに答えれば、もう一方の質問にも答えることになる。今の件は特別に不問としてやろう」
「そのまどろっこしさは変わってはおらぬようだな」
「姫のほうは、変わったようだな。愚息に感化でもされたか?」
 羅生門は答える代わりに睨み返した。
「その容姿で凄まれても可愛いだけだというのに。まぁいい、では本題に入ろうか。姫の言うとおり、確かに我は十一年前、冥府に入り我が身をこの世から消した。妻と愚息を残してな。姫がここにいる我に驚くのも無理はない。何しろ冥府は言わば江戸時代の鎖国状態だった日本のような世界だ。他界との交わりも極力避けられている。何よりも、一度冥府に入った者はその修行期間が二百年を超えねば他界に行くことはできぬという掟がある。だが、我には力があった。そう、姫、おまえと共に手に入れた羅生門の力が。それが不可能を可能としたのだ。もっとも、イレギュラーとなってまで冥府を抜け出した我が今一度冥府へ戻ろうとしても今度は叶わないだろうがな」
「そうまでして、なぜこの世界に来たのだ」
「状況が変わったのだ。我は常々冥府からこの世界の様子を伺っておったのだが、ここ数年、妙な動きが起きているようだ」
「妙な動き?」
「気付かぬか? 姫の成長に合わせ、様々な危険因子が異世界から送り込まれている。そう、羅生門システムの作動に向けてな」
「なっ……」
 羅生門は絶句した。
「そんな……あれは、あれは今回も行われるのか?」
「余程のことが起こらぬ限り、な。そして異世界の者もそれを狙っている。羅生門の力を使い、この世界を侵略しようと」
「侵略!? そんな馬鹿な事が……」
「姫の力を使えば可能なのだよ、残念ながら。中には、全異世界の統一を目論む者もいるようだが……とにかく、のっぴきならぬ状況であったので我が出張ってきたというわけだ」
「そ、それじゃあ、そなたは侵略の危機からこの世界を救うために……?」
「救う? 笑止。姫、我が人のために動く男と思っているのか?」
「では、なんのためにこの世界に来たのだ!」
「おもしろいからに決まっておろう! 全異世界から寄せ集められた精鋭たちがこの地球を舞台にたった一人の幼女をめぐって死闘を繰り広げるのだ。これほどのエンターテイメント、この機会を逃したら今後一万年は訪れぬわ!」
「な……そなた、混乱に乗じて悦楽に浸るためにわざわざ冥府から舞い戻ってきたというのか」
「その通りだ、姫」
 羅生門は頭が痛くなる思いがした。なぜ自分の周りにはこうも変態しかいないのだろうか、と。
「それと姫、もう一つの質問だが、我は十一年前に家族と別れるとき、この愚息に形見としてある宝具を遺した。今はなんらかの理由によって持ってはおらぬようだが、我はその宝具を自分の魂の拠所、即ち墓としたのだ。愚息の魂と我が魂が共鳴したとき、我は肉体を借り、この世界に降りる事ができるという仕組みになっている。残念ながら、我の身はとうにこの世にはないのだからな」
「ということは、つまり……ここに、この近くにその宝具があるということなのか?」
「そういうことだ。もうじき共鳴も収まり、再び私の魂は隠れるが、安心するがいい。その宝具さえ持っていれば、いざと言うときには魂の共鳴が起こり、私が出てこれるということだ」
「そなた、冥王の身体を乗っ取るつもりではあるまいな?」
「それは妙案だ。おっと怒るのは早いぞ姫、我とて正確な共鳴条件はわかっておらぬ。出てきたいときにいつでも出てこられるわけではないのだ。それに我も人の親、自分の息子の身体を乗っ取るなどという真似はできればしたくない」
「どの口がそんな奇麗事を……」
 冥王は聞こえていないのか、話を続けた。
「この世界にとどまるうちに、なんとか肉体を手に入れる方法を見つけるつもりだ。もちろん、愚息の身体を借りている例として、羅生門システムが作動すれば我も力を貸そう。前回扉を開いた張本人が味方となれば、愚息もさぞ心強いことだろうな」
「冥王にはまだ、そのことは話しておらぬのだ……」
「ならば早く教えてやるといい。遅かれ早かれ、いずれ知ることだ。それが神崎の呪縛、これは逃れられぬ運命なのだからな」
「……わかっては、いる」
「ふむ。話が過ぎたようだ。今回はもうとどまるのが限界のようだ。また逢えることを楽しみにしている、姫」
「あ、希須加。ちょっ……」
 まだ話したいことはあった。だが、希須加は白目を剥いて、どさりとその長身を地面に投げ出した。
 羅生門は慌てて駆け寄った。
「希須加! いや、冥王!!」
 肩をゆすって呼びかけた。すぐに後頭部の脈は戻り、やがて冥王は目を覚ました。