第7話「響く不協和音」


 聖夜が終わった。俺と羅生門のクリスマスは卓球の特訓をすることでキリストを呪いながら暮れていった。実に有意義なクリスマスだったと確信している。
 日付が変わって次の日。俺は重大なことに気がついた。今日は高校の時の部活の同僚やその友人やその師匠やらとの忘年会の予定があったのだ。しかも「今日ある」ということしか聞いていないからどうしていいかまったくわからない。
 迷った俺はとりあえず今回の会を仕切っていそうなひでという男に電話をかけた。確か今日やるという連絡もこいつからきたはずだ。ならばこいつに訊くのが一番手っ取り早いだろう。余談だが、このひでという男は弱冠21歳ながらゆずゆという名前の幼稚園児の保護者を任されているのだという。初めてその話を聞いたときは驚いたものだが、今になってみればなるほどと思わされる。彼はしっかりとした人間なのだ。信頼を置かれて保護者を任せられるのも頷ける話だ。冥王としては見習いたい限りである。
 電話に出るとそのゆずゆの保護者はいきなり叫び声をあげた。
「千歌音ちゃん最高じゅわああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!(・∀・)!!!!」
「……」
 俺は黙って電源ボタンを短く押した。
「……」
 部屋の中が静かになる。
 はて、俺は何を目的にひでに電話したんだろうか。そうだ、忘年会の詳細を訊きたかったんだ。ひでは今、誰も知らない月の社のことで頭がいっぱいのようだから邪魔しちゃ悪いだろう。
 俺はそう思い、誰か他の人に訊こうと考えた。誰がいいだろうか。すぐに思い浮かんだ顔があった。
 それ猥系という男だ。彼は俺の知人の中でも超特級のFPである。だがしかし、知人の中では比較的年上に当たる人物だ。いい大人ともあろうものが、電話越しにいきなり叫び声をあげたりはするまい。そう、どこかのゆずゆの保護者のように。
 俺はそう思い、猥系に電話をかけた。電話に出た彼は、急いだ様子をうかがわせながらも、きちんとこちらの話を聞いてくれた。
「あの、今日の忘年会のことなんですが……」
「勃起会? ナニソレ!! すげぇ興味あるなぁ!!」
「いや、忘年会です」
「はぁ? 忘年会? 知らねぇよそんなこと、今麻雀中だから忙しいっつうの! あ、おい、それポンポン、今の中ポンだってば! え、次の人がすでにツモってるからチョンボ!? そんなぁ!! 俺の大三元字一色大四喜多牌チョンボはどうなるの!? ぅおい神崎! てめぇのせいで俺の大三元字一色大四喜多牌チョンボが台無しじゃねぇがああ、どうしてくれんだよプギャー!!(・д・)!!」
「……」
 俺はそのまま電源ボタンを短く押した。
「……ふぅ」
 溜息をつく。横を見た。
「……なぁ、俺の周りにはまともな人間がいねぇのか?」
 答える声はまだあどけない、それでいてしわがれた豪奢な少女の声。
「何を言う。まともな人間ばかりに囲まれていては人生がつまらぬではないか。わらわは常に変化を求めておる。そなたは向上心に欠けておるぞ」
 こいつに助けを求めた俺が馬鹿だった。羅生門とて、まともな人間であるはずもなかった。
「そういうわけで、俺はこれから実家……って言うか、地元に帰るから。ほら、出てった出てった」
 追い払うように言うと、羅生門はきょとんとした表情を浮かべた。
「冥王? そなた、ここに住んでいるのではないのか?」
「いや、住んでるけど。でも下宿してるだけだから、本当の家は遠いところにあるんだ」
「ということは、そなたがこれからしようとしていることは、いわゆる帰省というやつなのだな?」
「そういうことになるな」
 俺が答えると、羅生門はしばらく腕組みをして動かなくなった。考え事をしているのだろうか。
 やがて顔を上げると、不安げな顔でこちらを見上げてきた。
「その、帰省というやつをすると……もしかして、来年までこっちには戻ってこないのか?」
「あ、あぁ。そういうもんだからな」
「そ、それでは困るのだ!」
 羅生門の声が大きくなった。そこには同時に焦りの色も混じっていた。
「なんだ、羅生門? おまえ、寂しいのか?」
「うぅ……」
 どうやら図星らしく、俺のシャツの裾をつかんで羅生門はうつむいた。その姿がかわいすぎて、思わず俺のフェイドゥムを放出してくわえさせたくなってきた。だが俺は、すんでのところで思いとどまった。
「ふふっ」
「なっ、笑ったな! どうして笑うのだ!」
「おまえ、米国で一人暮らししてたんだろ? そのときはどうしてたんだよ。まさか友達もいなくて寂しくてずっと泣いてたんじゃねぇだろうな?」
「と、友達はいた! だが……」
「一人、だったのか?」
 羅生門がこくんと頷く。手は俺のシャツをぎゅっと握ったままだ。よっぽど離れたくないらしい。俺としては嬉しい限りなのだが、流石に忘年会を欠席するわけにもいかない。詳細はわからないが、おそらく地元で行われるのだろうから、早めに帰っておけば間に合うはずだ。しかし、今は目の前の羅生門も心配だ。このまま置いていっては、寂しさで死んでしまうんじゃないか、そう思わせるぐらい、今の羅生門は儚げだった。
「なにがあったんだよ、米国で」
 俺は羅生門が過剰に寂しがる理由を訊いてみることにした。
「友達はいたのだ。一緒に過ごそうと言ってくれたものもいたが、そやつらは皆、わらわの前だとはぁはぁと息が荒く、暑苦しい男ばかりだったのだ」
「そりゃただのロリコンだ。友達に入れんなそんなヤツら。ちなみに、そいつらにどう対応したんだ?」
「もちろん、自分たちがいかに愚かかを、わからせてやった」
「……なんかそれ、逆に喜びそうだな」
「何故だ?」
「いや、こっちの話だ。それで、友達がいたのに、なんで一人で過ごしていたんだよ?」
「それが……クリスマスにも、年末にも、皆集まって酒を飲んだりしてどんちゃん騒ぎをするのだ。酒を飲むことにわらわはなんの抵抗もないのだが」
 聞いちゃいけないことを聞いた気がする。
「だが、皆、キリストのことを讃えたり、資本主義の素晴らしさを説くばかりで、わらわには聞くに堪えん話題ばかりなのだ」
「……」
 そうか。そういうことか。
 俺もそうだが、こいつは共産主義者なのだ。しかし米国といえば資本主義大国。そんな国で、自分が共産主義者だということをそう易々と口にはできないものである。人一倍、負けず嫌いの羅生門のことだから、一方的に言い負かされている気分になり、非常に悔しい状況だったのだろう。
「向こうに行って一年目の年末はそのような感じだった。だから、それ以来、何かイベントがあるたびに、誘いには応じずに一人で過ごすようにしていたのだ……」
 羅生門は目を伏せながら言った。
 羅生門の気持ちは痛いほどによくわかる。日本だって資本主義大国だ。俺だって、小さい頃から同じような思いをしてきた。だから、羅生門の気持ちは俺の気持ちと重なる部分がある。
「それで、日本に帰ってきて初めてのクリスマスで、そなたに出会えた。いろいろあったが、わらわにとって、今年のクリスマスは今までで一番充実したクリスマスだったのだ。そなたがいてくれたからこそだと、わらわは思っている。だから……」
「言わなくてもいい」
 俺はしゃがみこんで両腕で羅生門を抱きしめた。温かい体温が直に伝わってくる。柔らかい髪の感触が心地よい。
 こいつは……こいつは、初めて同志に会えたのが嬉しいんだ。それで、俺をこんなにも慕ってくれているんだと、そのとき俺は、はっきりと思った。
 俺はさらに思った。ならば、なればこそ、俺は帰省しなければならない。俺が羅生門から離れている時間を作るべきだと。
「羅生門、おまえの気持ちはわかった。でも、俺はどうしても帰らなきゃならない。だからな」
 俺はポケットに入っていたものを取り出した。昨日、結局渡しそびれていたピンクローターだ。
「これを、おまえにやるよ」
「なんなのだ、これは?」
 羅生門は初めて見るもののように、まじまじとローターを見つめている。そりゃ初めて見るんだろうな。
「使い方は自由だ。おまえの好きなように使ってくれていい。俺が帰ってくるまでの間、これを俺だと思って持っていてくれ」
「これが、冥王……そなた、なのか?」
「あぁ」
「だが、これはいわゆる偶像崇拝というやつではないのか? 現実主義たるわらわたちに相応しくない行為では……」
「羅生門」
 俺は羅生門の髪を優しく撫でて、言い聞かせるように囁いた。
「俺は、おまえのためなら、神にだって背く。おまえは、どうだ?」
「わ、わらわは……」
 羅生門は泣きそうな顔になっている。これ以上責めると、本当に泣きだしそうだ。
「とにかく、俺は行くよ。じゃあな」
 立ち上がろうとして、あることを思いつき、俺は座りなおした。
「そうだ、ついでにこれもやるよ、と言うか、預かっておいてくれ」
「え……?」
 手渡したのは、この部屋の鍵だった。
「これは、どういう……?」
「ここの留守番をな、しててほしいんだ。って言うか、たまに来て、ちょこちょこっと掃除してくれるぐらいでいいんだけどな」
 いざ言ってみると照れくさい。恋人に鍵を渡すヤツってのは、どいつもこいつもこんなに照れくさくなるものなんだろうか。
「あ……」
「ん?」
 羅生門が何か言おうとしている。ようやくシャツを握っていた手を離してくれた。これで俺も立ち上がれる。
「ありがとう……なのだ」
 不意に放たれた一言に、俺の腰は抜けそうになった。だが俺は、そんな素振りは微塵も見せずに立ち上がると、
「じゃあな、なるべく早く帰るから」
 と言って家を出た。
 顔に当たる風が冷たい。
「羅生門……」
 あいつの名前を呟いてみた。
 頬に何か冷たいものが伝うのを感じた。
「……はは、風邪が冷てぇや」
 今日、また一つ、羅生門について知った。彼女が、俺を異性として好いているわけではないことを。



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