桜の季節 現代浪漫編 第一話 「阿沙加と真陰、その確執<午前の部>」

 

「ひゅーま、ひゅーまぁ。」

 その日、陽由真は甲高い声で目が覚めた。

真陽が陽由真を起こしに迎えに来たのだろう。

「ん・・・・もう朝なのか?」

 昨日、記憶の中とはいえあれだけの大冒険を繰り広げた陽由真、ただでさえ寝不足だというのに、さらに眠れなくなる要素が増えたのだ。

それは誰だって眠れないだろう。

「んん〜・・・・眠たいんだ、これが。」

「何してるの?真陽が呼んでるわよ。」

「ん!?」

 聞きなれない声に驚いて起き上がってみると、台所から真陰が顔を覗かせていた。

「・・・・そ、そうか。真陰がいたんだったな。あぁ、びっくりした。」

「私がそんなに薄い存在?」

「いやいや、そんなことはないよ。僕が忘れっぽいだけさ。」

 言いながら、洗面台で顔を洗うと、陽由真は外に聞こえる声で真陽に呼びかけた。

「ごめん、すぐに行くからちょっと待ってて。」

 そう言うと、陽由真は急いで大学に行く準備を始めた。

そんな陽由真の様を見て、真陰が苦笑いをして言った。

「まるで慣れているみたいね、遅刻寸前に。」

「うるさいな。これでも高校の時は遅刻の帝王と呼ばせていたんだぞ。」

「それって、自慢にならないわよ・・。」

「うっ・・・・。」

 身支度を済ませた陽由真がドアを開けると、真陽が退屈そうにあくびをしていた。

陽由真に見られたのが恥ずかしく思い、鞄の取っ手を口元に近づけて言った。

「遅いよ、ひゅーま。いつもの時間に来ないから私のほうから迎えに来たんだから。」

 真陽に言われて陽由真も時計を見ると、いつも家を出る時間より30分も遅いことがわかった。

「わ、ほんとだ。ごっめんごめん。なんか昨日から時間の感覚がボケてるみたいなんだ。」

「・・・・まぁ、事実だから仕方ないけど・・。さ、もう行きましょう。遅刻しちゃうわ。」

 陽由真が靴をはいていると、後ろから真陰が出てきた。

「いつも迎えに来させてるの?真陽、大変じゃない。」

「違うよ、いつもは――――」

「真陰、あなた!何でここに・・?」

 真陰が陽由真の家に厄介になっていることを知らない真陽は真陰がそこにいることに驚いた。

「あ、そうか。まだ真陽には言ってなかったか。真陰は寝泊りするところがないんだ。だから、僕の家の空いている一部屋に入ってもらってるんだ。」

「入ってって・・それじゃ、一緒に暮らして・・・・」

 真陽の頬が高潮してきた。

「お、おい、真陽、誤解しないでくれよ。同棲とか、そういうんじゃないから・・。」

「真陽はまだそこまで言ってないわよ。」

「あ・・・・。」

「それじゃ、いってらっしゃいね、お兄ちゃん。クスッ。」

 まずったと思う陽由真とそれを苦笑いで見送る真陰。

二人の間には自然と兄妹に近しい感情が芽生え始めていた。

「あ、あぁ、それじゃ、行ってくる。さ、真陽、行こう。」

バタン

 陽由真が行った。

真陰はこの家に一人になった。

「はぁあ〜、また一人か・・。賑やかなのはすぐ癖になるわね。」

 今まで千年間、たった一人で闇の中で生きてきたのだ。

自分以外には、かすかに自分の中に感じる阿沙加の気配のみ。

 それが昨日、初めて一日自分以外の人間と「過ごし」、「暮らし」たのだ。

平安の真陰を前世と呼ぶならば、今の真陰こそ、今世と呼ぶべきなのかもしれない。

たとえ、輪廻の輪はくぐっていなくとも、真陰は確かに生まれ変わったのだ。

陽由真のことを「お兄ちゃん」と呼び、兄としての存在を認めた時を境に。

 

「だから、・・・・・・・・と、いうわけなんだ。」

「・・・・。」

 必死に弁明する陽由真。

「(なんで僕が弁明してるんだろう・・。)」

「経緯はわかったけど・・」

「わかってくれた?(よかったぁ。)」

「でも、その経緯でそうして真陰がひゅーまの家で寝泊りするのよ。」

「え、だから、千才とは言え見た目は年頃の女の子だろ、だから・・」

「だから心配なのよ。ひゅーま、優しいから。」

「えっ、それって・・・・。」

「わかってるわよ。私に頼んでもいいけど、私の家で空いている部屋は真由の部屋だけだから、あなたがそのことを考慮してくれたんだって、わかってるけど・・・・私、何言ってるんだろ、バカみたい・・・・。」

「真陽・・・・」

「ごめん、ひゅーま。先行くね。」

タタタタタ――――――――

「あ・・・・。」

 陽由真が呼び止める間もなく、真陽は陽由真の前から走り去っていった。

しかし陽由真には今まであった罪悪感に似たものはあまりなかった。

「真陽、変わったな・・・・。いきいきしてる・・。」

 

「ハァ、ハァ、ハァ、・・・・」

 とりあえず陽由真のいないところまで走ってきた真陽は、息を切らして膝に手をついた。

「本当に私、何やってるんだろ・・。ひゅーまの気持ちは知ってるのに、なのに、ひゅーまに心配させてばかりで。わがままだな、私。バカだな、私・・・・。もっと素直に慣れたらいいのに。だから私、いつも・・・・」

ドンッ

「きゃっ。」

「おわ!」

ドサッ

 下を向いて歩いていると、真陽は曲がり角で人とぶつかってしまった。

「あ、すいません。あの・・大丈夫ですか?」

「あいや、こっちこそごめん。それより怪我はな・・・・、って、真陽ちゃん?」

「え・・・・。」

 ぶつかった男の顔は見知ったものだった。

「エロ・・あ、じゃなくて、江戸坂君?」

「やっぱり真陽ちゃん!久しぶりィ!!」

「う、うん。久しぶりだね。」

 その男は、陽由真の親友でありながら、真陽の友人でもある江戸坂 雪孝であった。

「ところで、さっきのエロ・・・・っていうのはなんだい?」

 雪孝は笑ってはいるが、少し引きつっていた。

「え、だって、いつもひゅーまが・・。のぞき何十回とか・・・・。」

「あんにゃろー。懲りもせずにあることないことを〜。」

「あることもあるんだ・・。」

「うぐっ。真陽ちゃ〜ん、痛いトコつかないでよ〜。」

「ごめん、でも、私もその『真陽ちゃん』っていうの、くすぐったかったから、お返し。」

「あ、そうだったんだ、ごめんごめん。じゃなんて呼ぼうか。う〜ん、と。」

「気にしないで。何でもいいよ、普通なら。」

「う〜む、よし、ここはひゅーまの朝の挨拶『はよん』にあやかり、『まよん』だ!」

「(う、う〜ん、こっちのほうが恥ずかしいような気も・・・・。)」

「ところでまよん。今日はひゅーまは一緒じゃないの?」

「(これじゃどこぞの変体集団だよ。)う、うん・・・・。私が先に来たの。」

「咲きに?な〜るほど、まよんは桜か梅だったのか。」

 真陽は一瞬、自分の前世の姿が言い当てられた気がしてビクッとした。

「じょ、冗談・・だよね?」

 一応、念を押してみた。

雪孝が知っているはずはないのだが、どうも気になったのだ。

「さ〜ぁ、冗談か、本当か。答えは天に委ねるのみ。」

 真陽はそれを聞いてほっとした。

雪孝がこうして話をはぐらかそうとするときは大抵が冗談か嘘なのである。

「まぁ、いいや。あ、ちょうどいいし、途中まで一緒に行こうよ、江戸坂君。」

「え?あ、あぁ、いいよ。」

「ん?どうかした?」

「いや、まよん、前に会ったときとはいやに変わったなぁと思ってな。さてはお前ら、何か一波乱越えたな?そうしてこそは愛は成長を・・・・あ、お、おっほん、ごっほん!(あぶねえ、あぶねえ、これ以上言ったらひゅーまに殺されるところだったぜ。)」

「え、何?江戸坂君。」

「あ、いや、だからさ、つまり天が授けてくれた試練を乗り超えたんだなってことだよ。はっはっは。」

 なんだ、また冗談か、と思って真陽は雪孝の言ったことを聞き流した。

「(ふぅ、あぶない、あぶない。)」

 真陽と歩いているうちに、雪孝はちょっとした異変に気がついた。

「(なんだろう。この場にひゅーま、あいつはいないはずなのに、なぜか、あいつの雰囲気がここにはある。しかも、俺の隣のまよんから感じる気がする・・・・。なんだか、ずっと昔からの思念というか、そういうものを感じるな。疲れてるのかな、俺・・。)」

 ボーっと歩いていると、もう分かれ道まできていた。

「それじゃ、江戸坂君。またね。」

「えっ?あ、あぁ、もうここか。それじゃな、まよん。それと、俺のことは雪孝でいいぞ。江戸坂は呼びにくかろう?」

「うん、そうだね。ありがとう、雪孝君。じゃぁね。」

「うい、んじゃ。」

 真陽はすっかり元気を取り戻して、大学へ向かって歩き出した。

 

 二人が別れる姿を、遠くで見つけていた陽由真がいた。

「あ、真陽だ。追いつかなきゃ。」

 

「ふぅう。流石にこれ以上の睡眠は無理ね。」

 ――正午。

真陰は陽由真の家でひたすらに寝ようとしていた。

それも自分の精神を落ち着けるためだった。

「今、下手に動いて、阿沙加に表に出て来られたら、それこそ大変なことになってしまう。陽由真は、兄さんは私たちを助けてくれるんだから、私も出来る限りは協力しないと・・。」

『協力?』

「!!」

 真陰はガバッと起き上がった。

自分の中、心の奥から込み上げる、響き上がる声。

それは紛れもなく、阿沙加のものだった。

「あ、阿沙加・・・・あなた・・・・」

『・・・・』

「こんな、こんな時代になってまで私たちの前に姿を見せて、どういうつもりなの?」

『私は、命令を遂行しようとしているだけで・・・・』

「私たちは千年間閉じ込められてきたのよ?あんな長老のわがままみたいな罪、とっくに償われているはずよ!」

『!・・・・』

「あの時、平安の時代で、私たちがあなたの処罰実行を止めようとしたとき、あなたは一瞬だけど、ためらったわよね?あのときのあなたが本当の『阿沙加』だって、私たちに処罰したことがあなたの本当の意思じゃないってこと、少なくとも私だけはわかってるよ。だから、もう、こんなこと・・・・こんな、お互いを傷つけあうことを繰り返すのはもう・・・・」

『五月蝿いっ!』

「阿沙加!?」

・・・・・・・・

 阿沙加の気配が消えた。

また、真陰の心の奥底に隠れたのだ。

「いつまで、逃げ続けるのよ、阿沙加・・・・。」

 阿沙加はもうわかっているはずだ。

真陰はそう思いたがっている。

そうであって欲しいと願っている。

 いつか、分かり合える時が来ると、信じている。

「その時までは・・・・か。」

ドサッ

 もう一度、真陰は布団に飛び込んだ。

                     第二話 <午後の部> につづく