『桜の季節』現代浪漫編 第三話「再臨の真由」

 

「ま・・真由・・・・真由がぁ・・・・。」

 真陽は涙ぐみながら、それでも必死に陽由真に伝えようとした。

これは喜び。喜びだから。

だから、陽由真に伝えたいから。

「すん・・・・ま・・・・ま・・。」

 でも、自分でも抑えきれないほどの喜びが喉をしゃくりあげて、うまく声にならなかった。

そこへ真陰が助け舟を出した。

「真由の目が・・覚めたのね?」

「――!」

 陽由真ははっと眼を見開き、横目で真陰をうかがう。

「・・・・ん・・。」

 かすかに音を出して、真陽はこくりと、深く頷いた。

その顔には、様々な情念が込められた笑みが浮かべられていた。

 そして頷くが否や、真陽は身を翻し、走っていった。

「・・・・ど、どうしたってんだ、真陽・・。・・・・真陰?真由ちゃんが目覚めたって・・。」

「本当よ。あなたも真由を感じてたんじゃないの?」

「ぼ、僕は、なんだか懐かしいような感じがして・・・・気がついたらここに来ていたんだ。」

「ここ・・・・か。」

 陽由真から太陽桜に視点をずらす真陰。

「やっぱり魂への刺激が強すぎたかしら・・。」

「な・・。どういうことだよ、それは!」

「私のせいで、真由は目覚めたってことよ。」

「え?」

「正確には、私の魂の発した気によって・・・・ね。」

「また・・・・気か・・。この間の病室での真由ちゃんが突然動き出したのと同じか?」

「えぇ。基本的にはね。でも、違うのは、今回のは私がやろうと思ってやったことじゃないわ。それに、真由の魂も予期してなかったでしょうね。だから気を感じた時のショックが大きくて、魂を安定させるために半強制的に肉体に戻ることを余儀なくされたんだと思うわ。」

「・・てことは、真由ちゃんはもうすでに・・・・。」

 陽由真はいつも真由の病室から太陽桜を見ていた窓を、今度は太陽桜の下から眺めてみた。

病室の中の様子はここからではよくわからない。やはりここでは遠すぎるのだ。

 そのとき、陽由真に先ほど感じられたような懐かしい感じがまた感じられた。

「!・・ま、真由ちゃん・・・・なのか・・?」

「はっきり感じられるようになった?それじゃ、目覚めた真由にあなたがまずしなくちゃならないことはなんだっけ?」

「・・・・。」

 真陰に言われて、陽由真は拳を自分の胸の前で握った。

「・・そうだな、わかってるよ。よし、行こう!」

「ふ、行ってらっしゃい。頑張ってね。」

「・・。」

 陽由真を悠長に見送る真陰。

陽由真はそんな真陰の腕を掴んで言った。

「何言ってるんだよ。真陰もほら、来いよ。」

「え、ちょ、ちょっと!」

「真陰だって・・・・真由ちゃんと話したいんだろ?真由ちゃんもきっと真陰と会いたがってるさ。」

「・・・・。」

 陽由真にそう言われると、真陰はもう抵抗することなく陽由真に連れられるまま一緒に走った。

 

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・。」

 病院の入り口についた真陽は、全力疾走がたたり、肩で息をせざるを得なかった。

「はぁ・・。今日は・・・・走ってばかり・・。」

 一段落置くと、真陰は大きく息を吸って病院へ入っていった。

すぐさま205号室へ向かう。

そしてドアの前で立ち止まる。

(ここから・・・・止まっていた時間が・・動き出す・・・・。)

がちゃり・・・・

 真陽は込み上げる想いをやっとのことで抑えながら、病室のドアを開けた。

中には、白衣を纏った看護婦が一人と、ベッドの上には白い寝巻きをつけた少女――真由がいた。

「!――」

 真由が誰?といった感じでドアのほうを向く。

「真由!」

「え・・・・あ、お姉ちゃん!」

 とっさにベッドから飛び出す真由。

それを見て横にいた看護婦が止めようとする。

「あ、浅瀬山さん!まだ動いちゃダメ――――」

 言うのが一足遅かった。

真由はすでにベッドから出て自分の足で立っていた。

「お姉ちゃ――」

かくっ――――

 次の瞬間、真由の両足の膝はきれいにそろって曲がり、真由は床に伏した。

ぱたん

・・・・・・・・

 真由の小さな体が床に倒れた。それはまるで画用紙でも落としたかのような軽い音だった。

「真、由・・?」

「もう、全身が弱っているからじっとしてなきゃダメだって、さっき言ったばかりでしょう。」

 看護婦が苦笑を交えながら真由を叱りだす。

「あはは・・。失敗、失敗。」

 真由のほうも苦笑いを浮かべながら、看護婦に再びベッドへと運ばれている。

「お見舞いの方?」

「あ、いえ、真由の姉です。」

「あら、そうだったの。おめでとうございます、妹さん、やっとお目覚めですよ。」

「はい、本当に、ありがとうございました。」

「いえいえ、それじゃ浅瀬山さん、私は戻るけど、もうベッドから出ちゃだめよ。」

「はぁい。」

ばたん

 病室から看護婦が出て行き、部屋の中には、真陽と真由の二人だけとなった。

こうして二人が目を開けた状態で会うのは、実に数週間ぶりだった。

「久しぶり――――ね。」

「お姉ちゃんも・・。」

「うん・・。」

(真由は今、何週間かのブランクがあるから、その分萎縮しているかもしれない。私が・・・・気さくに声をかけてあげなくちゃ・・。)

「元気だった?」

 真陽の考えとは裏腹に、気さくに声をかけたのは真由のほうだった。

「うん・・元気。私も、陽由真も・・・・あ、真陰もいるよ。真由の回復を待ってくれたんだよ。」

「そっかぁ・・・・。心配かけて、ごめんね。」

「!・・そんなことない!私のほうこそ、ごめん。あなたの気持ち、軽く思ってた・・。」

「いいよ、お姉ちゃん・・。」

「・・・・それより、真由。あなたもう・・・・。」

「うん。思い出してるよ。」

「そう・・。よかった、話す手間が省けたわね。」

 平安のことは、寝ている間に重々思い出していた。

そして真由が今最も気になっているのは、陽由真の行方であった。

でも、真由は真陽の前でそんなことは聞かなかった。

 真由は真由なりに、姉の想いを悟り、それに気遣っているのだ。

「ん・・・・。陽由真が来たみたい。聞きたいこと、あるんでしょう?私、帰るね。また明日、お見舞いに来るから。」

 姉は姉なりに、また妹を気遣う。

がちゃ!

「真由ちゃん!」

 すごい勢いで陽由真は病室に駆け込んできた。

「きたきた。それじゃ真由、また明日。」

「うん、バイバイ、お姉ちゃん。」

「え?まよ・・え?」

 自分が入った途端に帰ろうと出て行く真陽に戸惑う陽由真。

真陰のほうは真陽の意図に気がつき、しどろもどろとしている陽由真をベッドの前まで押しやった。

(後は任せて。)

(お願い。)

 真陰と真陽は目配せしながら心話でやりとりし、真陽は帰っていった。

「ちょ・・。真陰、どういう・・・・。」

「兄さんはだまってて!」

すぱん

 陽由真の後頭部に一発、キレのいいチョップをお見舞いした。

「あでででで・・・・。」

 陽由真がうずくまっているうちに、真陰は真由に話し掛けた。

「久しぶり、真由。」

「真陰ちゃん、久しぶりぃ!」

かくん

 真陰の首から奇怪な、それでいて気持ちのいい音がすると同時に、真陰の首がうなだれた。

「あのねぇ・・。その呼び方、力抜けるのよ。」

「えっ・・あはは、ごめーん。」

「ま、いいわ。それが真由らしいものね。」

 そこまで言うと真陰は、真陽にやったように真由にも目配せをした。

(いい?後ろのバカにちゃんと言いたいことあったら言うのよ?)

(うん・・・・わかったよ。)

「それじゃ、ね。真由。」

「バイバイ、真陰ちゃん。」

かっくん

 また遠くから、音がしたような気がした。

 やっと痛みから解放された陽由真が顔を上げると、そこには真陽はおろか、真陰の姿さえもなかった。

この病室には、今度は陽由真と真由の二人だけになった。

「あれ・・?真陰?」

「真陰ちゃんは、帰りましたよ。」

「え・・・・あ、あぁ。そう・・か。」

 久々に面と向かって聞く真由の声に、少し緊張する陽由真。

「・・・・元気だったか?」

「寝てました。」

「そうだっけな・・・・。」

 多少、苦笑い気味に質問を間違えた情けない男は、頭を掻いた。

そのとき陽由真はさっきから真由が終始笑顔を浮かべているのに気がついた。

「・・・・。」

ほけーっと真由の顔を眺めていると、真由も流石にそれに気付いた。

「どうかしたんですか?」

 華奢な敬語とのやりとり。

平安の真由との生活をふと思い出す陽由真。

「・・・・やっぱり真由ちゃんは、笑っているのが一番可愛いな。」

 言ってから、陽由真はしまったと思った。

(な、なんて恥ずかしいことを言っているんだ・・。)

 すると、真由は顔を真っ赤にした。

「え、そんな・・。ひゅーまさん・・・・。」

 

 しばらくの間、陽由真と真由は、とりとめもない話をして過ごした。

「そうそう、平安の時の真由ちゃんの料理、本当に美味しかったなぁ。」

「ひゅーまさん。」

「ん、何?」

「その・・真由ちゃん、じゃなくて、真由って呼んでもらえないですか?平安のときは、いつもそうでしたし・・。」

「ん・・・・そうだな。よし、そうするよ、真由。」

「あはは。ありがとうございます、ひゅーまさん。」

 陽由真には、言わなければならないことがある。

だが、なかなか切り出せないでいた。

(こういうときに弱いな、僕は・・。)

 だが、またしても切り出しは真由の言葉だった。

「ひゅーまさん。」

「ん?」

「あの、私がまだ眠っていたとき・・・・真陰ちゃん・・あ、あの時は阿沙加ちゃんだったかな・・・・が来たとき、あれ?あぁ、その前でした。ひゅーまさんがここの病室に来てくれたとき、私に言ってくれましたよね?」

「・・・・。」

 すると真由は、少し渋い顔を作っていった。

「待ってろよ。眼ェ覚めたら必ず、返事聞かせてやっからな。って。」

 言い終わると、途端にお茶目顔に戻る。

「ん、あぁ、言ったよ。」

「返事・・・・。私、ずっと、聞きたかったんですよ。ひゅーまさんの、返事・・。」

「・・・・。」

(ここで話してしまってもいいものか・・・・。折角のこの笑顔をまた失うことになるかもしれない・・。)

「私・・・・。私、あの告白、本気だったんですよ。」

 なおも真由は、笑顔を絶やさずに言う。

「事故に遭ってから・・正直、私の魂はとりとめもなく、暗く寂しい場所を彷徨っていました。でも、あのときのひゅーまさんの励ましの言葉があったから、私、自分を失わずに目覚めたんですよ。・・・・聞きたいんです、ひゅーまさん本人の口から。本当の返事を。」

 知っている。

真由はひゅーまが真陽のことを好きだということぐらい、とっくに知っているのである。

でも、一抹の望みなどではなく、本人の口からはっきり言って欲しかった。

区切れを、決着をつけてしまいたかった。

「真由・・。真由は・・・・本当に俺のことが好きなのか?こんな、情けない男が・・・・。」

「好きです。愛しています。ひゅーまさんのこと、好きになれたこと、私は誇りに思います。」

 即答だった。

ここまで気持ちいいほどにまでストレートに気持ちを打ち明けられては、駆け引きなどやっている自分がばかばかしく

なってくる陽由真。正直、真由に男として認められていることが嬉しくてたまらないのだ。

「真由・・・・。」

「はい。」

「悲しまずに、っていうのは無理かもしれないから、せめて落ち着いて聞いて欲しい。」

「・・・・。」

 真由の表情は真剣そのものだった。

「真由の気持ちは・・・・その、正直すごく嬉しいんだ・・。でも、僕は恋愛対象として真由を見ることができない・・・・。でもな、真由、言い訳みたいにはなるけど、聞いてくれ。」

「はい。」

 表情一つ変えずに、じっと陽由真の話に耳を傾けている。

「僕は・・・・そう、真由のことが、好きだ。うん、すごく好きだよ。でもそれは、恋愛の対象としてじゃなくて・・・・。決して女として好きじゃないわけじゃないんだ。その、なんていうか、真陽には、俺の、男としての愛があるんだ。ある意味、狂気に満ちた、襲ってしまいたい、汚してしまいたい願望っていうか、そういうのが、僕の真陽に向けての愛なんだ。当然、真由に同じ愛を向けるわけにはいかない。だから許してくれなんて言わないけど、でも、僕は、真由のことも守ってあげたいんだ。真陽も、弱い。けど、ここまで来れば、僕が護らなくても、一人でも、真陽は生きて行ける。なんとも悔しい話だけど、僕は、真由を守ってあげることで、安心できると思うんだ。その、恋愛じゃない愛・・・・そんなのが、真由にはあるんだよ。真由の中にある恋心を砕いたのは謝る。だけど、許してくれなんていわない。せめて、守らせて欲しいんだ。もしかしたら、真由を余計に傷つけることになるかもしれないけど・・・・。」

 長い話を終え、陽由真が真由を見ると、真由の表情は笑顔に戻っていた。

「くす、許すも許さないもないですよ。」

 なおも笑顔を崩すことのない真由。

「私、一応、ふられちゃったんですよね。」

「・・。」

 噛みしめるように、陽由真は首を縦に振った。

「そっかぁ。」

「強いんだな、真由は。こんなときでも笑顔を絶やさずに・・。僕だったら泣き崩れているな・・。」

「私はそんなに強くないですよ。ひゅーまさんのためなら、強くなれますけど。」

「!・・そ、そっか。」

「ひゅーまさん、許してあげますから、そのかわり・・・・。」

「ん?」

「ちょっとこっち来てください。」

「う、うん。」

 陽由真がベッドに近づくと、真由は陽由真にしがみついてきた。

「真由?」

「・・・・すん・・。」

 かすかにしゃくりあげる声。

それに、陽由真の服を持つ真由の手は震えていた。

(真由ちゃん・・・・。)

「う、うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああん!!」

 陽由真の胸に顔を預け、泣き叫ぶ真由。

そんな真由を、陽由真は優しく包み込んであげた。

手で髪をなでてあげた。背中もなでてあげた。

「ええぇぇぇん!!うぅっ・・・・ひいぃぃん。」

(無理、してたんだな・・・・やっぱり。)

 その日、面会時間の終了時刻まで陽由真は真由の部屋にいた。

 

                       現代浪漫編 第四話へつづく