あの日から、一週間が経った。
私は、今日も自転車で学校に来た。一時間目から、ちゃんと授業に出た。いつもサボっている授業だからか、クラスメイトは「どうしたの?」なんて訊いてくる。
「ん……まぁ、テスト前だしね」
そう答えた私の頭の中には間近に控えた期末考査のことなど微塵もなかった。
五時間目の授業が終わるとトイレに行き、個室に入る。文化部の部室が並ぶ四階奥の女子トイレは、男子はおろか女子すらもなかなか来ない。特に休み時間の10分間なんて、自分だけの空間も同然といっても過言じゃないと思う。
便座に座った私には、尿意も便意もない。あるのはただ、性欲のみ。
私は、少し腰を浮かせると制服のスカートの下に手を入れ、ショーツと脚との間に指を滑り込ませた。そのまま、太股に沿ってするすると下着を下ろしていき、膝のあたりで止めておく。誰か来た時のために、すぐに履けるようにしておかないといけない。
そうして改めて座りなおすと、膝の上から股にかけて妙にすうすうして気持ちがいい。もちろん、便座のふたは閉じてあるから、それの冷たさが直接お尻に伝わってきていてそれが心地良いのもある。私は更なる快感を求めて、再びスカートの中へ右手を忍ばせる。左手は便座について、肘を張って体を支えている。
太股の内側を触りながら、徐々に陰部に近づいていく。
「……はぁ…」
すでに私は上気していて、甘い息を漏らしている。右手の指はついに秘所に到達した。淡く茂った陰毛を弄びながら、ゆっくりとそこをこすりあげていく。
森崎くんに触られて始めて知ったけど、私は感じやすいのかもしれない。女は熱しにくく冷めにくいというけれど、私は熱しやすく冷めにくいのかもしれない。だって、あの日、森崎くんと別れたあと……私、我慢できなくて、家に帰ってすぐに自慰をしちゃったから。
こんな快感は初めてだった。森崎くんに触られて、性欲というものを理解した。五感のうち、触覚を通して得られる快感を求める欲望のことを性欲というのだと。そしてそれがまさか自分の手で得られるものとは思っていなかった。
とはいえ、森崎くんに触られたのと比べて、自分で触ったのでは快感の度合いが全然低い。ショーツ越しにしか触られなかったとはいえ、その快感はそれまで自慰行為すらもしたことのなかった私にとっては完全に未知の代物だった。
あの日以来、あの快感が忘れられずにいる。だから、少しでもその快感に近づけようと、ショーツ越しにではなく直接触ったり、学校のトイレという興奮するような場所を選んで自慰行為に勤しむようになってしまった。
こんなことしてちゃダメだ、なんてことはわかっている。でも、何故だか、自分の欲望を抑えることのできない自分がいる。ダメなんだとわかっているからこその背徳感を求めてそれすらも快感にしてしまおうとする貧欲な自分がいる。
「あ……ん、んふっぅ……」
指はすでに一定のリズムで上下に動いている。なんだか自分でやっているんじゃないみたいな気分。スカートも大きくめくれて、開放的に晒された股間が自分にも見える。
一瞬イきそうになるのをこらえて、右手を秘所から離した。指を見ると、なにかねばっこい液体が人差し指と中指の間に短い線を作っている。
十分に気持ちいいはず。なのに、なにか、物足りない。あの日の快感に比べると、決定的に何かが物足りない。
私はある考えに行き着き、左手も股間に差し入れた。左手の指は、右手がいじっていた秘所を通り過ぎ、さらにその下の、お尻の穴をつついて刺激する。
「んっ……くぅ」
いい感じ。恍惚感も非常に高まってきた。私は再び、今度は左手でお尻の穴を弄びながら、右手で秘所をいじった。
「ふぁ、は、はぁ、はぁ……」
急速に右手の指を動かす速度が上がっていく。すごく、気持ちがいい。お尻がもたらしてくれる刺激をこれまで知らなかった私は、このとき、自分がどれだけ快感に酔いしれているか、気付いていなかったかもしれない。
「ぃ……イク、イきそう……」
もう少しで絶頂に達しようとしていたとき、突然チャイムが鳴り響いた。その音はトイレの中にもはっきりと、いやむしろ狭い室内だからこそ大きくこだました。
私は飛び上がるほどにびっくりして、急いで制服の乱れを整え、手を念入りに洗ってトイレを飛び出した。
……結局、イけなかった。
次の授業に遅刻してはいけないので大急ぎで教室に戻る。途中、廊下で森崎くんのクラスの前を通ったときに森崎くんを見つけた。やる気なさそうに次の授業の教科書を出して、机に突っ伏している。ここからわずかに見えるその瞳からは、本当にやる気のなさがうかがえた。
どうしたんだろう。森崎くんを見て最初に浮かんだ感想はそれだった。なによりもまず、恨むべきなのかもしれないが、私の中にはこのとき、彼に同情したいと思う気持ちがどうしてか浮かんできていた。あの日も、森崎くんは何故だか知らないけど、私を脅迫して襲おうとしたのに途中で突然意気消沈してやめた。「助かった」という気持ちもあったが、正直、「どうしてだろう」という気持ちのほうが強かった。自慰でイけなかったからこういうことを思ってしまうのだろうか。私は本当は、森崎くんにしてもらいたがってるんだろうか。
今はそんなバカなことを考えていても仕方がないと思い、自分の教室に入ろうとすると、森崎くんのクラスの入り口近くにいる男子生徒と目が合った。男子生徒は目が合ったことに気付くと、何事もなかったように視線をずらして自分の教室に入っていった。
確かあの人は、森崎くんと同じクラスの、百地くん。女の子ばっかり追い掛け回して写真撮ってるストーカーまがいの軟派なやつ、というイメージしかないけど、そういえば森崎くんと百地くんが仲良くしているのを見たことがある。何気ない記憶だけど、意外なところに森崎くんに繋がる人物を見つけたためか、私は百地くんのことが妙に気にかかった。
放課後。六時間目の授業にも真面目に出たが、全然授業に集中できなかった。そもそも授業に真面目に出るようになったのは自慰を始めるようになったからだ。このまま堕落して行ってはダメだと思った私の、せめてものボーダーラインを施したというわけだ。つまり、あの日から、私は外面としては真面目になったというわけだ。襲われて真面目になる。なんとも皮肉な話だが、私は森崎くんに対する自分の印象を悪くしたくはなかった。もしかしたら私は、森崎くんのことが好きになってしまったのかもしれない。だとしても、私は一体どうしたらいいんだろう。自分を襲った相手に「好きです」とでも言うのだろうか。そしたら頭がおかしいと思われるだろうし、何よりも自分のプライドが許してくれそうにない。何はともあれ、森崎くんは私を襲ったのだから。
そういえば、脅迫材料になる写真はまだ森崎くんが持っているはず。あれは返してくれるのだろうか。返してくれずに、また脅迫材料として使われるのであれば、いつ、使われるのだろうか。そんなことを考えていると、駐輪場に着いていた。放課後の教室でしばらく惚けてから下校準備をしたので、もう駐輪場にはほとんどの自転車は残っていない。クラブ活動もまだまだ終わる時間じゃないし、今の時間なら暫くは誰も来ないはずだ。
私はチャンスだと思った。誰もいないのであれば、さっきの、トイレの中での続きをしたいと思った。イけなくて物足りない思いをしたのを拭い去りたかった。またトイレに戻ればいいとも思ったが、今は文化部が活動中なので誰がトイレに来るかわからない。やるなら今、ここしかない。と、そう思った。
普段なら絶対に考え付かないようなことだったけれど、このときの私は理性が飛んでしまっていたのかもしれない。とにかく、おさまりきらない性欲をどうにかしたかった。どうにかしたい、と思うこの気持ちこそが性欲と呼ばれるものなのかもしれないが。
私はあたりを見回して誰もいないことを確認すると、その場にぺたりと座り込んで自分の胸を触り始めた。流石に屋外なので秘所をさらけ出す行為はなるべく避けたい。
「んは、はぁ……」
すでに身体は火照っているので興奮するのは早い。制服のブラウスから手を差し入れるために、ブラウスのボタンを二つほどはずす。そのとき、背後から足音が聞こえた。
「!」
私は咄嗟に振り向いた。そこに立っていたのは、こんな場所――駐輪場――には似つかわしくない人物だった。
「百地、くん……」
私は思わず相手の名前を口に発していた。それが聞こえたのか、百地くんは一歩、私に歩み寄りながら、
「桐屋さん……?」
と、まるで信じられないとでも言いたげに表情を強張らせていた。私は、そんな百地くんを怖いと思った。そして、自分の恥ずかしい行為の一部始終を見られていたことに気付いて、恥ずかしさと恐怖で立ち上がることができなかった。
そのまま涙目になって百地くんを見上げていると、立ち止まっていた彼は、何か少しだけ雰囲気を変えて、もう一度私に近づいてきた。
私は、なにかされるかな、と思ったが、もう、それを拒むつもりも拒むだけの精神的余裕もなかった。
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