学校からの帰り道。勇太が今日この道を通るのはこれで四回目だ。勇太は朝に姉のるりが家に置き忘れた体操着を取りに帰った時のことを思い出していた。
 どうしてあの時、しっかり匂い嗅いだりアレを包んだりしなかったんだろう。
 朝からなにをヘンタイじみたことを、という思いもあった。妙な正義感もあったし、るりが夜に好きにさせてくれることを約束してくれたから、それに対する安心感もあった。
 だが、今の勇太はそんな自分の行いを後悔していた。
 今日は触らせてもらえないかもしれない。
 勇太にとって、「触らせてもらう」ということが意味する行為にはとてつもない魅力があった。幼い頃から性に対してオープンだった姉の弟として育った勇太としては、嫌でも姉の裸を見る機会が多かった。るりは自分の裸を見せるたびに「どーだ、きれいでしょ。ほーれほーれ」と見せびらかしてくるが、勇太はそれを適当にあしらう。もちろんそれは勇太が気恥ずかしさを隠すための行動なのだが、そんなことはるりにも筒抜けだった。勇太にとってのるりは、理想、とまではいかないが、かなり高レベルでの女性像なのだ。そのるりが、自分の体を自由に触ってもいいと言うのだ。つまり本番行為を除く性行為をOKしてくれるのだ。心躍らないはずがない。
 だが、いつもは平穏に踊る勇太の心の灯火は、今日はぐらぐらと揺れていた。理由は勇太自身にもだいたいはわかる。
 まずは不安。るりは今日、弥子を家に呼んでいる。あの二人のことだから夜遅くまでキャーキャー騒いでいることだろう。そうすると当然、翌日も平日で学校があるわけだからいつものように「触らせてもらえる」可能性は低い。るりはそれをわかっていて勇太とできもしない約束をしたのだろうか。だとすれば、自分は姉にしてやられたのだ。つまり、この胸の奥の期待はオジャンになってしまう可能性が高いのだ。
 そして第二に焦燥。どこか落ち着かない、そわそわとした感じがあった。背中を這うイモムシのようだとでも言うべきか。放課後、校門を出るときから、ずっとこの嫌な感じが離れなかった。それはきっと、桐屋のことだと勇太は思った。一週間前にあんなに酷いことをしておいて、未だに謝れずにいるにもかかわらず、別の女性、あろうことか自分の実の姉に対して卑猥な期待を抱いてしまっている。そのことに対する罪悪感と言ったのではおそらく正確ではない。状況をこのままにしておくのが怖い。というよりもむしろ危険だ、と背中のイモムシは告げていた。
 だからと言って自分に何ができるのだろう。何ができるのか、そんなことすら思い浮かばないまま、勇太はゆっくりと歩を進める。

 西日が差し込む駐輪場。部活をしている生徒以外はすでにほとんどが帰っており、残っている自転車の数も半分を切っていた。この学校で部活をやっている生徒は、電車やバスでの通学が多い。徒歩や自転車での通学もたまにいるが、前者に比べると圧倒的に少ない。なぜかと言うと、単純に交通の便が整いすぎているからである。校門の前にはバス停があり、1分も歩けば地下鉄の駅がある。駅やバス停の付近に住んでいない生徒のほうが少ないのだ。
 それでも好き好んで徒歩や自転車で通学してくる生徒も少なからずいる。桐屋里未もまた、その一人である。
 駐輪場のおく、こじんまりとしたスペースに設置された掃除用具入れは、校舎で死角になっており、グラウンドからは見えなくなっている。また、角度の問題で校舎の窓からもその上面しか見えないようになっている。
 その中に、高校二年生の男女がいた。男は百地誠太郎。女は桐屋里未。
「桐屋さん……ほ、ほんとにいいのか? こんな…」
 桐屋はこくんと頷き、
「いいの、訊かないで」
 駐輪場で自慰行為をしているところを見られた。しかも勇太の友人である誠太郎に。もそすごく怖かった。自分しかいないと思っていたのに。ものすごく怖かった。それでも自分の内から次々とあふれ出てくる感情の波に抗うことは、弱り果てた桐屋にはできなかった。
 この人に、身を任せてしまおう。
 桐屋は、おぼろげながらにそう思った。その結果として、二人は用具入れの中にいた。
 掃除用具入れの中は、外から見ていたときに思っていたよりも大きくて、ちゃんと照明まであった。
「それじゃ、いくよ……」
 誠太郎は手始めに桐屋を後ろから抱き寄せた。右手をそっと乱れた制服の胸元へ忍ばせていく。相手も了承の上での行為なのに、まるで相手に気付かれるのが怖いみたいに慎重になってしまう。実際、誠太郎にとっては怖かった。本当にこんなことをしてもいいんだろうか、そんな思いがあった。自慰行為を見てしまったことは確かに大変なことだ。本人にしてみたらこんなことをしてでも口止めをしたいと思うのかもしれない。でも、これってひとたび誰かに見つかってしまえば悪いのは明らかに自分だということになってしまうだろう。桐屋が否定しようが誠太郎が否定しようが、それが世間というものだ。しかし、目の前にいるのは紛れもなく桐屋里未なのだ。あの、自分がずっと好きだった、桐屋さんなのだ。ここまできて、自分の手を止められるわけがなかった。
 右手でブラをずらして、生で胸に触れる。その感触はすべすべで、ものすごく心地が良かった。ずっとでも触っていたい、そんな感じだった。
 徐々に清太郎の息は荒くなり、その吐息が桐屋の耳にかかる。
「ふ……ぁ」
 それが引き金になったのか、初めて桐屋の口から声が漏れた。誠太郎が口を歪める。もう我を失ってしまった、と誠太郎は他人を見ているような感覚で思っていた。左手をスカートの下から内側へ忍び込ませる。桐屋の股間をまさぐると、履きたてのレザーパンツがそれを妨害した。まぁいい、と誠太郎は思った。そのまま、レザーパンツの上から股間を触っていく。ごわごわとした感触は悪くはなかったが少し物足りなかった。とはいえ、右手に感じる心地良さで十分だという気もした。
 しばらく触っていると、右手に突起物を感じることに気がついた。
「んッ…」
 桐屋が片目を閉じて体を強張らせた。  乳首が、勃っている。
 それは、誠太郎の行為に桐屋の体が少なからず反応しているという何よりの証拠だった。誠太郎は嬉しくなってもっと反応させてやりたいと思い、今指が当たった乳首を親指と人差し指でつまんでいじった。とはいえ小さいのでうまいことつかめずにそれが結果として行為を焦らすこととなった。
 先の自慰もあってか、桐屋はすっかり上気し、体を完全に誠太郎に預けてしまっていた。
 誠太郎はこのまま立ったままで続けるのは難しいと思い、背後に置いてあったパイプ椅子にどっかりと座って、自分の膝の上に桐屋を座らせた。
「ちょ…こんな格好で?」
「あぁ、立ったままだとやりにくいだろ」
 言いながらも、絶えず右手の指を動かす。
「ん、あぁっ、だけどッ、あ」
がたんっ
 一瞬、何が起こったのかわからず、二人とも心臓が止まりそうになった。硬直したまま、耳をすませる。
 用具入れの外から、がやがやと声が聞こえる。運動部連中が帰ろうとしているのだろう。自転車の音もわずかに聞こえる。
 なぜだ。おかしい。運動部の練習はこんなに早く終わるはずはない。誠太郎も桐屋も、どうしていいかわからずに身動きが取れないでいた。
 さらに耳を澄ますと、ざああああという音も聞こえてきた。そこで疑問は解けた。雨が降り出したのでグラウンドを使う部活は中断になったのだ。
 だとするとまずい。こんなところで物音を立てたら気付かれる可能性がある。いくら雨が降っているとはいえ、用具入れ付近の人間が気付くかもしれない。
 二人は暗黙の了解のようにそう思い、そのままの体制でじっとしていた。
 じっとしている間に、気付いたことがあった。誠太郎の手が震えていることに。自分の左の胸を掴む誠太郎の手が、ぶるぶると震えていることに。そして、その震えをなんとか隠そうと力むことでなおさら震えてしまっていることに。そのことに気付いて、桐屋の胸の奥で何かが音にならない音をあげた。
 じっとしている間に、気付いたことがあった。桐屋の鼓動を、直接右手に感じた。これ以上ないくらいに動揺している。自分にも、誰にも負けないくらいに動揺している、桐屋が自分の膝の上に座って、自分に体を預けている。震える手は止まらないけど、せめて、それを気付かれないようにと手に力を込める。結果的に、胸を少し握りつぶす形になって、あわてて力を抜く。どうしたらいいかわからない。じっとしてはいるが、ちっともじっとしてなんかいなかった。
 運動部連中は、そのまま駐輪場でたっぷり一時間は雨宿りしていった。




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