誠太郎ははっきりと言った。
 目の前にいるのは親友の勇太だ。そして彼は、里未の気持ちにも気付いてしまっている。更に言うならば、彼は勇太の気持ちにも気付き始めている。自分と勇太、二人して同じ女の子のことを好きなんだと。
 だから、伝えなくてはならないと思った。自分が里未を襲ったという事実を。
 いや、襲ったというのは少々語弊があるかもしれない。よく思い出してみれば、あの時は里未のほうから誘ってきた、と考えることもできる。
 だが、誠太郎は自分に都合の良い解釈をしたくはなかった。そう考える事が、里未を、自分の想い人を更に汚すことになるのだと知っていたから。
 そういえば。と誠太郎は思う。他人に対してこんなにも必死な思いになったことが今までにあっただろうかと。
 自分に対しては常に必死だった。写真にかける情熱は誰にも負けていないと自負しているし、実際にそれなりの活動も行ってきている。だけど、そんな必死さが裏目に出たのか、他人に対して目を向けるということを、誠太郎はこれまでほとんどしてこなかった。
 そのせいもあり、この年になるまで恋愛というものをしたことがなかったのだ。もちろん、恋愛というものがどういうものかは知っていたし、女の子の写真を撮って、きれいだ、かわいい、などと思うことは何度もあった。しかし、彼の情熱はあくまでも撮影対象にではなく、撮影という行為そのものに対して注がれていた。勇太には恋の先達者ぶって色々とアドバイスをしているが、すべて知識として持っているだけで自分自身の恋愛経験は皆無と言っていいほどなかった。
 高校に上がって最初のクラス分けのとき、自分の後ろに座ったのが森崎勇太だった。第一印象は幸せそうなヤツ、程度だった。
 初日の授業が終わり、クラスの連中はどこの部活に仮入部するか相談しながら教室を出て行った。誠太郎はどこのクラブにも入部するつもりはなかった。事前の調べで、この学校には写真部やそれに類する部活がないと知っていたためである。そんなわけで、適当に帰るかと思って教室に残っていた。
 やがて、教室に残ったのは誠太郎と勇太の二人だけになった。そのときの勇太が何故教室に残っていたかは誠太郎にはわからない。だが、お互いに入部希望するクラブがない、というだけでも話のネタにはなり、その日の放課後は勇太と雑談をして過ごした。
 話してみてわかったことは、勇太には明確な目標や目的がないということだった。それは勇太自信、悩んでいるようだった。
 誠太郎は思った。勇太は、カメラに触っていないときの自分に似ている、と。だから、つい親切心から言ってしまったのだ。「恋愛をしてみれば、変わるかもしれないぞ」と。自分に恋愛経験がないのに、だ。
 そう言ってから、誠太郎は自分についてよく考えるようになった。恋愛ってなんなんだろうと。自分にもできるものなのだろうかと。
 それ以来、勇太とはなんとなく仲良くなり、写真部設立のときのゴーストメンバーになってもらったりと、今では親友と呼べる仲になっている。
 そんな親友の前だからこそ、今こそ自分は断罪されるべきだと思った。

 勇太は誠太郎の告白を聞いて、呆然としていた。
 頭の中で整理してみる。誠太郎が、桐屋さんを、襲った? どういうことだ?
「襲ったって、誠太郎……」
 それは性行為を迫ったという意味か。訊きたくても訊けなかった。訊かずとも、そうに決まっているのだから。
「なんでそんなことを……」
 したのか? 言うのか? 自分はどっちを訊きたいのだろう。その答えが出る前に、誠太郎のほうから答えが来た。
「おまえには、言っておかないといけないと思って」
 後者のほうでとられたらしい。
「なんで、僕に?」
 背筋がゾクゾクとした。返ってくる答えなんか、わかりきっていた。もちろん、自分が里未のことを好きだということなんか、誠太郎はとっくに知っていたんだろう。実際に自分の気持ちに気付いたのは最近になってからだが、誠太郎は勇太自信にすら窺い知れない勇太の内面を、機敏に読み取っていたのだろう。
 だからだろうか。なぜだろうか。勇太は、踏み出していた。
「!!」
 気付くと、誠太郎の肩を掴んでいた。誠太郎が顔を歪める。
「なんで、なんで僕にそんなことを言うんだ。なんで桐屋さんを襲ったりしたんだ! なんで、なんでなんでなんで……」
「……」
 誠太郎は言葉を探しているようだった。親友に対する気遣いが有難かった。しかし、今の勇太は止まらなかった。胸をつんざいて言葉が溢れてきた。
「おまえ、おまえは、桐屋さんのことを好きなんじゃなかったのかよ!」
「森崎……知っていたのか」
 誠太郎は意外そうな顔をした。
 あたりまえだ、と勇太は思う。里未の話題になったときの誠太郎のあんなにわかりやすい反応は他にない。でもそれは、親友だからこそ、気付けるものだと思っていた。
「誠太郎、おまえ、なんでそんなことしたんだ」
 訊かなくちゃいけないと思った。これだけは。
「……」
「答えろよ! 黙っていちゃわからないだろ! なにか……何か理由があったんじゃないのか?」
 勇太はすがった。一縷の望みに。誠太郎をまだ親友として見ることのできる、一縷の望みに。
 だが、誠太郎はそれに応えてはくれなかった。
「言い訳はしたくないんだ。俺が桐屋さんを襲った。無理矢理に犯そうとした。一応、未遂には終わったけど……多分、彼女を傷つけた。今言えるのは、その事実だけだ」
 誠太郎はどこまでも潔かった。それが余計に、勇太には悔しかった。
「僕は…僕だって……」
 何を言うつもりだろう、自分は。自分も、里未を脅迫して犯そうとしたとでも言うのか。しかも脅迫のネタに使ったのは誠太郎の写真だとでも告白するのか。
 そう思った瞬間、勇太の中で何かが弾けた。これ以上、ここにいて、誠太郎と話していては何かがまずくなる。直感的に、そう感じた。
 だから勇太は、身を翻して走った。その場を去った。
「あ、おい! 森崎!」
 誠太郎が呼び止めるのも構わず、ただただ走った。
 自分が情けなかった。誠太郎に対して申し訳がなかった。このままでは、自分は誠太郎の親友としていられないと思った。どうしたらいいんだ。どうすればいいんだ。思考がループをし始める。

 一人神社に取り残された誠太郎は、走り去る勇太の背中を呆然と見つめていた。
 勇太に、嫌われたんだろう。親友として、してはいけないことをしてしまったのだから。当然の報いだ。
 だけど。それだけで切り捨ててしまえるほど、勇太と自分との関係は簡単なものじゃなかった。少なくとも自分だけは、そう思いたかった。
「勇太……」
 誠太郎は一人、呟いた。
「俺たち、もう、だめなのか……?」
 空を仰いだ。雨はすっかり上がって、綺麗な茜空が広がっていた。浮かんでくるのは、同じ空の下にいる、二人の男女のことだった。




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