風と星 歌と道 プロローグ


その日の私の記憶はこれだけだ。

珍しく朝から土砂降りになった春の一日。

いつもなら山の向こうに沈む赤い夕日を、今日は隠した雨雲。

半開きになった窓から吹き込む妙に心地の良い風。

雨のために取り止めたピクニック。

そのピクニックに持って行くはずだったお弁当。

ソファに腰掛けて煙草を吸う父。

晩御飯をねだる猫のシャーリー。

そして、私達を襲ったあの事件。

あの事件。

それは、玄関のチャイムが鳴った時から始まった。

出ようとする父を制した私がドアを開けると、

そこには銃を持って黒いスーツを着た数人の男達が待ち構えていた。

男達は、無造作に家に入り込み、私はそのうちの一人に殴られ、 雨の舞う外へと放り出される。

春の雨は、やっぱりまだ冷たくて、

ただ無表情に地面に倒れた私を打ちつづけるのみだった。

意識が朦朧として、頭に響く頭痛だけがやけにハッキリしている。

白く霞んだ霧の居座る中で、私はばらばらに砕け散った

記憶の欠片を必死にかき集めていた。

「クーリエ、逃げろ!」

声が聞こえる。聞きなれた声。

別段、綺麗な声というわけでもない。

ただ、十数年もの間ほぼ毎日のように聞いてきて

未だに飽きることのない、父の声。

「おい、あの娘だ。まだ覚醒してないらしい」

「ちっ、20代後半の女じゃなかったのか?10代に見えるぞ」

「クーリエ!」

ドン。

低い見知らぬ声に混じって、また父の声。

焦りを含んでいる声。

その声がしてから一呼吸ほど置いて、

銃声が飛び、私のすぐそばの地面がはじける。

その瞬間、私の記憶はよみがえる。

今までしていた頭痛や白い靄は、綺麗に消え去り、

かわりにどうしようもない恐怖がどんどん膨らんでいく。

「あ、あ、ああ、ああああああああああああああ」

私の中から膨れ上がり、溢れ出した膨大な量の恐怖は、

叫びとなって放たれた。

叫ぶ私の前に男が立ちふさがり、

銃口を向け、その後ろでは、

父が取り押さえようとする男達を振り切って

私の前に立つ男に飛び掛ろうとしていた。

ドン。

二度目の銃声が飛ぶが、

父に飛びつかれてバランスを崩した銃口は、

狙いがそれて私の近くの地面を再度跳ね上げただけだった。

「クーリエ、早く!」

その言葉にすがるようにして、私は立ち上がる。

「この野郎!」

黒ずくめの怒鳴る声を背に、駆け出そうとする。

服に纏わり付いた雨が、ずしりとのしかかる。

ドン。

「、、う、ぐ、、」

今日三度目の銃声。

しかし、今度は私へ向けられたのではないらしい。

跳ねる地面のかわりに、父の断末魔が耳に飛び込んでくる。

絶望に駈られて振り返ると、

そこにはまるでスローモーションのように

やけにゆっくりと倒れる父の姿があった。

倒れた彼は、やはりまたゆっくりと地面を朱に染めていく。

混乱、拒絶、悲しみ、怒り、憎悪。

そんな感情が私の体の中を掻き回していき、

そして、私の記憶は唐突に、切れた。




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