「桜の季節」序章 第四話 「悲しい記憶、扉は開く」


 僕と真陽はまず、病院へ真由ちゃんのお見舞いに行った。

相変わらず、真由ちゃんの瞳が開かれる様子はない。

また、真陽が悲しんではいないだろうか、などど心配になってきた。

「真陽、大丈夫なの?」

 心配だったので、声をかけてみた。

すると真陽が振り向いて言った。

「うん、もう、泣かない。」

 真陽は顔にかすかに笑みを浮かべていた。

やっぱ、こうだ。いいのは。泣いている真陽なんて嫌だ。

僕は思った。もう、絶対に、真陽を泣かせない、と。

そう、強く思った。

 ん、そういえば・・・・。

僕は、朝に病室に来た女の子を思い出した。

「なあ、真陽。」

「なに?」

「朝さ、真由ちゃんの友達に会ったんだ。でも、名前がわからないんだ。心当たりないかな?」

「そんなこと聞いて、どうするの?」

「え、あ、誤解しないでよ。ただ、ちょっと知っておきたかっただけさ。」

「ふ〜ん、たぶん、愛ちゃんだと思うけど。」

「愛・・・・ちゃん?」

「わかんないよね。毎日、この子のお見舞いに来てくれる子なの。名前は、浅生 愛(アソウ アイ)っていうの。」

「そっか。たぶんその子じゃないかな。」

「愛」とはまた情のこもった名前である。

 真陽が、椅子から立ち上がった。

「さ、行きましょう。何かご馳走してくれるんでしょ?」

「ああ、じゃあ、行きますか。」

 僕たちは、病院裏の喫茶「凱旋門」に入った。

僕とここのご主人の息子さんとは知り合いだ。

息子さんがラグビーで凱旋したので、店の名前が凱旋門になったのだという。

どうでもいいか、そんなこと。

ちなみに、息子さんの名前は、武田 伸樹(タゲダ ノブキ)という。

僕たちは店に入って隅の席に座った。

太陽桜広場が一望できる、僕にとって、そして真陽にとっても最高の席だろう。

「どうぞ、すわって。」

 僕は真陽に椅子をすすめた。

「ありがとう。」

 そういって、真陽は座った。

「ご注文はお決まりでしょうか?」

 ウェイトレスが注文を聞いてきた。

このウェイトレスさんはバイトだ。名前を、上原 千春(ウエハラ チハル)という。

僕たちが通う大学の1年先輩である。

なんでそんなこと知ってるんだろう、僕。

「私、ミルクティー。ひゅーまは?」

「あ、じゃあ、アイスコーヒー、お願いします。」

「かしこまりました。少々お待ちください。」

 しばらくすると、メニューが運ばれてきた。

「真陽、何食べたい?」

「う〜ん、じゃ、このシフォンケーキがいいな。」

「わかった。注文してくる。」

この店は、喫茶店でありながら和菓子・洋菓子類が充実しているため、若者に結構な人気がある。

確か、雑誌でも何度か紹介されていたような気がする。

やがて、シフォンケーキが運ばれてきた。

 真陽はおいしそうにシフォンケーキを食べている。

でも、僕の目を気にしているのか、少し食べにくそうだ。

ここいらで少し、会話したいな、とか思っていた。

すると、真陽が先に口を開いた。

「おいしいぃ。真由のお料理とどっちがおいしいかな。」

「え・・・・?」

「私ね。真由ほどお料理上手じゃないから。だから、いっつも真由につくってもらってたの。真由、お料理、得意だったから。」

 真陽の声で「まゆ」って聞いたのは、何週間ぶりだろう。

すべてはあの事故から始まったのだ。

 そのとき、僕はハッとした。

「真陽、いいのか?「まゆ」って・・・・。」

「いいの。もう大丈夫。ひゅーま、あなたに元気もらったから。もう、大丈夫。」

 どうやら、真陽の精神的社会復帰も近いのかもしれない。大げさではあるが。

 真陽と真由ちゃんは、事故以前は二人暮しをしていた。

それはそれは仲のいい姉妹だった。

よく僕の家に来てくれて、二人してご飯つくってくれたっけ。

真由ちゃんは、本当料理が上手な子で、僕に対して優しく接してくれた。

予備校の模擬試験でいい結果がでなくて落ち込んでいた僕を、一生懸命励ましてくれた。

自分も将来、僕と真陽の行く小泉大学を目指すと、張り切ってた。

いろんな、いろんな思い出が、蘇ってくる。

でも、今、真由ちゃんは眠っている。

起きようとしない・・・・。

いや、起きることができないんだ。

そうだろ?そうだよな?

僕の中で、葛藤が起こっていた。

僕にはどうも真由ちゃんが起きられないのではなくて、起きようとしないのではないかという気がする。

それは言い換えれば起きられないことになるのだろうが。

でも、起きないのだとしたら、どうして?

その答えは、恐らく僕にあるのだと思う。

何故、そう思うのか?

今は、考えられない。考えたく、なかった。

「ひゅーま?」

「ん?あ、ごめん。うっとりしてた。」

「私の顔に何かついてる?」

「ふふっ。ちょっと、考え事さ。」

「なに、考えてたの?」

「・・・・。」

 僕はぼんやりと太陽桜を眺めながら言った。

「これまでのこと、それから、これからのこと・・。」

 僕は一体どうしたらいいんだろうか。

こうして真陽の明るさを取り戻したはいいが、これは一時のものに過ぎない。

 本当にすべてを解決に導くには僕たちの中にあるこの、なんだかよくわからないわだかまりをとっぱらう必要がある。

 わだかまり、それは、真由ちゃんのことだ。

意識がない以上、僕と真由ちゃん、真陽と真由ちゃんの意志疎通はあの事故以来行われていない。

言いたいことも、聞きたいことも、聞いてあげたいこともたくさんある。

でも、今はそれができない。

「ひゅーまはさ、大学でもバレーやるの?」

 真陽が話題を変えた。

普段と、いや、事故以後の真陽と違う雰囲気に少し驚いた。

「ん、うん。昨日、入部手続きしてきたよ。」

「どう?レギュラー狙えそう?」

「む、無理言うなよ。まだ一年生だよ。出してくれないよ。」

「ふぅ〜ん、っふふ。」

 真陽がクスクスと笑い出した。

「どしたの?何かおかしかった?」

「ひゅーま、楽しそうで、よかった。」

「え・・・・。」

「楽しみにしてたでしょ。デート。」

「なっ・・・・?」

 僕は赤面してしまった。

流石にこれにはびびりまくった。

まさか、真陽にまで僕の気持ちが知られているのか?

「私もね・・。楽しみだったんだ。」

 真陽が太陽桜を眺めながら言った。

真陽・・・・。

「ひゅーま、あなたが私にこんなに優しくしてくれるのは、私に同情してるからだよね。私、嬉しい。」

 !!?

同情?バカな?この気持ちが・・・・、同情?

そんなはずはない。

「違うっ!!」

 思わず、大声を張り上げてしまっていた。

8年間の想いからか、同情ではないと自信を持って言うことが出来る。

「・・・・、ひゅー・・ま・・。」

「違う!違うよ、真陽!僕は君に優しいかどうかわからないけど、今、こういうふうに接しているのは、決して同情なんかからじゃないっ!」

 大声のせいか、喉が痛くなった。

僕は声の音量を下げていった。

「ぼ、僕は・・・・、僕は君のことが好きなんだ!だから・・・・!」

 言えた。八年間、押し殺してきた想いを今、打ち明けた。

「同情なんかじゃ・・ないんだ。」

「ひ、ひゅーま・・・・。」

 できれば、返事が欲しかった。それも、今すぐに。

今の真陽に、こんなことを要求するのは無理があると思う。

でも、それを差し引いても、僕の8年の想いは止まらなかった。

「真陽・・・・。」

「だ、だめだよ、ひゅーま!今、今は、真由のこともあるし・・。真由の、真由の気持ちも・・・・。」

 頬をほのかに染めて真陽が言った。

こうなることはわかっていた。

当たり前だ。

こんな非常時にこんなことをいうバカがどこにいる?

「ごめん・・。急に変なこと言って。でも、これだけは、真陽に伝えておきたかったんだ。」

 しばらく間を置いてから言った。

「そう、だな。真由ちゃんのこともあるし、な。すべては真由ちゃんが目を覚ましてから、だな。」

「・・・・うん。」

 本当に、真陽は僕のことをどう・・・・。

「ひゅーま・・。」

「・・何?」

「やっと・・、戻ったんだね。昔に。」

「え・・・・?何を・・。」

「自分のこと、「僕」って言ったじゃない。」

「あ・・・・。」

 そうだ。僕は二つの顔がある。

一つは普段内にいる本音の顔。

もう一つは普段外にいる表向きの顔。

たいてい二つの顔は同じなのだが、僕は本当の本音を内の顔だけで思ってしまうことが多く、内の顔の一人称は「僕」だが、外は「俺」なのだ。

僕も、真陽のことばかり言っているが、外界に真に触れるのが怖いんじゃないか?

昔はそんな二面性はなかった。

そのころの僕を真陽は知っている。

こんなになったのは、いつからだったか・・・・。

思いだそうとした時、ビクっとした。

恐ろしい。

灰色の記憶が僕に蘇ってきた。

これは、何だ?



 思い出したくない・・。



「・・ひゅーま?大丈夫?」

 かすかに真陽の声が聞こえた。

しかしもう遅かった。

僕の意識は次第に薄れていった。

「・・・・ひゅ・・ひゅーま!ねぇ、ひゅーま!!」

 叫ぶ真陽の声だけが、僕の頭の中で響いていた。

                第五話つづく




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