「いまだ尽きぬ、神の時」
真由が発した「姉さん」という言葉に、陽由真や年法はおろか、言われた当の本人までもが驚きを隠せなかった。
「ま、真由・・。真由なの?」
姉さんと呼ばれた女性は、真由の存在に気付いていなかったようだ。
「姉さん、姉さんなのね?」
もはや誰にも止められない感動の再会を果たしている二人。
陽由真は出す言葉もなく、呆然と立ち尽くしていた。
すると真由がそれに気付いたのか、陽由真の方を向いて言った。
「あ、陽由真さん。ご紹介しますね。私の姉です。」
すると真由の後ろから女性が言った。
「はじめまして。真由の姉の真陽といいます。」
先程陽由真に感じられた不思議な感覚まだはっきりと残っていた。
彼女はごく普通の女性だった。
ありふれた村娘風の衣装を着て、髪は普通に肩まで伸ばしている。
別に肌の色が変だとか、そういったことは一切ない。
なぜこんな普通の娘から、こんな変な感じがするのだろう。
陽由真はそこで気がついた。
この感覚は、あの時、真由と出会った時の感覚と似ている、と。
「あの・・、それで、山で鹿が・・・・。」
陽由真ははっと我にかえる。
「あ、はい。そうでしたね。少々お待ちを。真由、薬の用意を!年法、一緒に来てくれ。」
「はい。」
真由は返事を返すとすぐさま陳列棚と睨み合った。
残った年法が不思議そうに陽由真に聞いた。
「おい、陽由真。」
「なんだ?」
「なんで俺まで一緒に行くんだ?」
「あの山は獣も多くいて、危険だろ。そんなところに女二人連れて行くんだ。僕一人じゃ頼りないだろ?それに、桐生師匠のもとでともに修行したおまえならこれ以上に頼もしい奴はいないよ。」
言うと、年法は納得したようにほぉうと頷いて、真陽の方を向いた。
「そういうわけだ。よろしくな、嬢ちゃん。」
「はい、ありがとうございます。年法様。」
そう言われると、年法はすごく恥ずかしそうに咳払いをした。
陽由真はしめしめと思った。
「(さてはこいつ、真陽さんに惚れたな。)」
横目でにやりとする陽由真であった。
一通り頭の中で年法を精神的に攻撃する課程を想定した後、陽由真は真陽に話しかけた。
「えと、そういうわけで、我々は準備をしますので、えっと、真陽さんは外で待っていてください。一緒に山まで行きましょう。」
「あの、陽由真様?私のことは真陽で構いませんよ。」
「・・え?そ、そんな、とんでもない。そんな失礼なことを!とてもできませんよ。」
ごほごほと咳払いをする陽由真。
もちろんその横では年法がにやりと陽由真を横目で見ている。
陽由真もそれに気付いていた。
「(く、これで精神攻撃ができなくなったかぁ。)」
気を取り直して。
「そ、それじゃあ、すぐに行きますので、外に出ていてください。」
「・・・・そうですか。わかりました。では・・。」
真陽はそう言って、玄関を開けて外に行った。
今一瞬、陽由真は真陽がすごく寂しそうな、悲しそうな顔をした気がした。
「・・・・。」
今の顔は何を意味するのだろう。
そんなことを考えていると、真由の準備は終わっていた。
「陽由真さん、お薬の準備終わりましたよ。早く姉さんのところに行きましょう!」
「待った、真由。」
「へ?なんですか?」
玄関に駆けていく真由の脚が急に止められた。
「真由、お姉さんがいたのか?」
本来ならば、もっと早くに聞くべき疑問に今やっと気付いた陽由真であった。
「はい、なかなかのべっぴんでしょう?へへ〜、こんなこと言ったら、姉さんに怒られます〜。」
「まぁ、それはいいんだが、真由の家は都の方だろ?なんで真陽さんはこんなところに来たんだろう?」
「う〜ん、なんででしょうねえ?姉さんは特に料亭を継ぐ事に反対はしていなかったんですけど。」
「じゃあ、家出、ってわけじゃなさそうだな。」
「ちぇ〜、やっと私の気持ちをわかってくれたと思ったのにぃ。・・、はっ?」
そこまで言って、真由はずっと沈黙を保っていた年法が唖然としているのに気がついた。
「ど、どうしたんですか?年法さん?」
「あれっ?年法、腹でも痛いのか?」
「あ、あ、あんた、家出してきたのかぁっっ!!」
「そうだよ。」
「聞いてないぞ、陽由真。」
「言ってもいないよ。」
「今日が初対面ですし。あはは。」
「あのなぁ・・。」
「それに、年法さん。」
「ん、なんだ?」
「あんた、じゃなくって、真由。私の名前は真由なんですから、ちゃんと真由って呼んでください。」
「あ、あぁ、じゃあ真由、聞くが、真由は、家出してきたんだろ?つまりそれは家を捨てたって事だ。家を捨てることがどういうことかわかっているのか?」
「そ、それは・・・・。」
男として生まれてきて、一流の血筋の中で育ってきた年法には、家の大切さ、家族の大切さがよくわかっている。
年法にとっては、「腐っても家」なのである。
だからこそ、自分の信念に反する行動を冒した真由に対して、ある種の許せない感情があるのだろう。
「ま、まぁ、確かに真由の行動は軽はずみかもしれないけど、年法、真由の気持ちもわかってやれよ。真由は店を継ぐのが嫌なんだよ。」
「それはわからないでもないが、でも、嫌だからって、自分の思いどおりに動いていいものかよ。」
「それはわかっている。でも、真由は自分にあらかじめ用意された料亭や料理の才能といったすべてのものを捨て薬師を目指しているんだ。その努力を認めてやれよ。」
年法は陽由真の言葉に押されて、真由の方を向いた。
「えっと、真由。あんた、本当に本気で俺らと同じ薬師の道に来るんだな?」
「は、はい、そのつもりです。」
真由の言葉にはどこか力がこもっていた。
こんな小さい体で、これだけ大きなものを自ら背負う。
その健気さを、陽由真は買っていたのだ。
「・・・・そんだけ気迫がありゃぁ大丈夫だろうよ。でもな、家柄とか、絶対に粗末にするんじゃねぇぞ。」
「はい!絶対にしません!」
「(ふぅ。こっちもやっと片付いたか。)
ところで真由、これは僕の推測だけど、真陽さん、真由を連れ戻しに来たんじゃないかな?」
「えっ、そんなの嫌です!」
「だからあくまで推測だって。もしかしたら、ご両親にそう言われたのかもしれないし。」
「じゃ、じゃあ私、どうしたらいいんでしょう?」
「あんたの好きにするがいいさ。」
意外にも、真由に助け舟を出したのは年法だった。
「俺は家を粗末にするなとは言ったが、家に従えとは言っていない。自分の生き方は自分で決めればいい。ただ、どんな生き方をしようが、胸を張って自信を持って自分の家を背負えるようになれ、と、そう言っているんだ。」
年法の自信と経験に満ちた言葉で、真由はやっと自分を取り戻したように笑った。
「・・・・うん、うん!そうですね!私、自分の思うようにしてみます。たとえそれでうまくいかなくても、私は悔いません。私の選ぶ自分の道だから!」
「あぁ。」
「うん、真由はそういう生き方の方が合ってると思うよ。」
陽由真も思った通りの感想を言う。
真由はヘへっと嬉しがると、玄関の戸の前に立って陽由真と年法を手招きした。
「さっ、準備も整いましたし、二人とも早く姉さんのところに行きましょう。」
「そうだな、真陽さん、待ちくたびれてるかもな。」
「・・・・。」
相変わらず真陽のこととなると顔が赤くなる年法を見る陽由真の顔がにやけていることは言うまでもない。
「はぁ・・・・。本当に忘れてしまったのかしら・・。陽由真・・・・、私は・・。」
迷走する少女の後ろで戸が開く音がした。
「!陽由真っ?」
「えっ!?」
玄関に出てきた瞬間にいきなり真陽に呼び捨てにされた陽由真は大変驚いた。
「ま、真陽・・、さん?」
なだめるようにおそるおそる声をかける陽由真。
彼は真陽の瞳に若干の厳しさを感じた。
なぜ初対面のはずの女性にこんな視線を向けられるのだろう。
陽由真の中で生まれた疑問は、答を出すことなく押し殺された。
「あ・・・・、も、申し訳ありません。私ったら、陽由真様に対してとんだご無礼を・・・・。」
先刻の、口調の丁寧な真陽に戻った。
複雑な思いに駆られながらも、とりあえずこの場は流しておこうと陽由真は思った。
「ん、じゃあ早速、行きましょう。桐生雲山へ。」
「はい。」
「はい!」
「おっし。」
三人が元気良く返事をした。
陽由真と真由と年法、そして真陽の一行は、半刻程した後、ちょうど陽由真の家と桐生雲山の中間地点を歩いていた。
前には陽由真と真陽が並び、後ろには真由と年法が並んで歩いた。
「なぁ、真由。あんた、あの真陽さんとつもる話とかあるんじゃねぇのか?」
「う〜ん、そんなんですけど・・・・。」
後ろで年法と真由が前の二人に聞こえない程度の声で話し始めた。
「どうした?何かまずいのか?」
「いえ・・。実は、私の姉さんって結構恥ずかしがりなんですよ。こういう初対面の人の中にいると・・。」
「真由!」
真由の声は真陽の耳にも陽由真の耳にもしっかりと入っていた。
「あ、姉さん・・。」
「もう、折角人が気をつかってあげてるのに、真由ったら・・。私だって、連れ戻すのは辛いんだから・・・・。」
「姉、さん・・・・。」
場を重い空気が支配した。
「お店は私が継げばいいって言うかもしれないけど、私じゃだめなのよ。わたしじゃ・・・・。」
力が足りない。
言わなくても真由にはそれがわかっていた。
自分の方が、跡取りとして相応しい、と。
それを自分の都合で姉に譲ったところで姉にだって誇りがある。
その誇りを無駄に傷つけることになると。
真陽も長女として必死に頑張ってきた。
しかし、妹の並外れた才能にはかなうことはなかった。
自分ではこの店は継げない。
妹の真由に託そう。
そう決心した矢先の真由の家出。
真由の気持ちは十分にわかっていたつもりだった。
どちらかの望みどおりになればどちらかがそれに振り回される。
どうにかしてどちらも思いどおりになる方法はないものか。
真陽はずっと考えてきた。
しかし答えが導かれる前に真由はいなくなった。
真陽はそれでもいいと思った。
だが真陽の良心はそれを許さなかった。
極限にまで神経を締め付けられた真陽は突拍子もないことを「思い出した」。
それが、「陽由真」。
そして真由にも・・・・。
「ま、まあ、その話しは後でゆっくりしましょうよ。」
長い長い沈黙を破ったのは陽由真の言葉だった。
ずっと下向き加減だった真陽も顔を上げて言った。
「いえ、もう、いいんです。この話は。今回、こちらに伺ったのは、別の用件ですから。」
「別の用件?」
思わず真由が嬉しさを含んだ顔で言った。
「ええ、ちょっと、人探しを・・・・。」
「っていうと?」
年法がすかさず聞く。
「ちょっと、過去にお世話になった方で・・。このあたりにおいでになっていると聞いたもので。」
真由はそれを聞いて一体誰だろうと思った。
そもそも、姉にこんな辺境の地に知人がいたかどうかも怪しかった。
「そうなんですか。」
「はい・・。さ、鹿も心配ですし、行きましょう。皆さん。」
少女は先頭を歩き出した。
その瞳の奥に、後ろに対するどうしようもない想いを抱えて・・・・。
第十一話につづく
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