「そんな日常に、幸ありて」
チュン チチュン
朝だ。
すがすがしい。
僕はいつも通りの時間に起きて、いつも通りの支度をして、店を開ける準備をした。
それは、たった一つのことを抜いて、ごくごくいつも通りなのであった。
「おはようございますっ。陽由真さん。朝ごはん、今、用意しますね。」
僕が売り物の薬を丹念に確認しているところに、どう見ても半刻程前に起きたとしか思えないぐらいに髪を乱した真由が姿を現した。
そう。
僕の家には四日前から真由が泊まり込みで僕の助手として薬の勉強をしているのだ。
あの日から、食事は必ず真由がつくってくれるようになった。
今だから慣れているようなものの、四日前、初めて真由の料理を食べた時には、本当に失神しそうになったくらいに感動した。
それだけ真由は、料理が上手なのだ。
本人に聞いた話だが、真由は都の料亭の娘だという。
どうりで、こんなに上手なわけだ。
しかし真由は、料亭の跡取りになるのが嫌で、家出してきたらしい。
最初は驚いたが、こういうことを平気でしれっとやってのけるところが真由らしくて、真由と話をしていると楽しくてたまらない自分に
気がついていた。
「出来ましたよ。こっちです。」
しばらくたつと、いいにおいとともに、真由が僕を呼びに来た。
自分の中にあるこの楽しさは何かと解析しているところを真由に中断されてしまった。
「どうしたんですか?食べないんですか?かたしちゃいますよ〜。」
「あ、いや、よろこんでいただくよ。」
「ふふふ、今日の献立は、特別懐石料理ですよ。」
う〜ん。まともで、それどころか、こんなにいい食事を真由と一緒に満喫できるなんて。
世の中、何があるかわからないものだなぁ。
そうだ、と思い、僕は急に真面目な顔になって真由に言った。
「そうそう、今日、店は昼過ぎに閉めて、桐生雲山に薬草の採取にいかないか?」
僕が提案すると、真由は驚いたような表情になった。
「え、桐生雲山というと、彼の高名な桐生道元さんの管理されている、朝廷所有の山ですよね?入れてもらえるんですか?」
確かに、朝廷の持ち物であるあの山に入るには、よほどの人脈でもない限り難しい。
でも、その「よほどの人脈」が僕にはあるのだ、これが。
桐生師匠は、薬師を引退後、朝廷に招かれ、貴族の主治医となった。
そしてあの山を授かり、桐生雲山と名付けたという。
「大丈夫さ。桐生師匠はきっと通してくれるさ。」
僕がそう言うと、真由は目を点にして口を開き、阿呆の表情をした。
「ま、真由?どしたの?」
真由の口がやっと開かれた。
「ひ、ひ、陽由真さん、桐生さんとお知り合い・・、というより、師弟関係だったんですか〜〜?」
表情がひどい驚きに変わっていた。
「そ、そうだけど?」
「あんな高名な方のもとにいた方が、今やこんな所でしがない薬屋経営者だなんてぇ〜。・・あ、す、すいません、あはは〜・・・・。」
な、なんて失礼な、いや、素直な娘なんだろう。
「あ、あのね、真由。僕は別に世に名を轟かす薬師になろうと思ってるわけじゃないんだ。今やってる薬屋はさ、小さい時からの夢・・、だったんだ。ま、実際、名を轟かすだけの実力もないだろうけどね。」
ははっと笑って話すと、真由が僕の話の最後の部分だけを必死で否定した。
「そ、そんなこと、絶対にないです!陽由真さんの薬に関する知識・技術、その・・、私が言うのもどうかと思うんですが、立派なものだと思いますっ!」
「えっ。」
照れた。
非常に照れた。
面と向かって誉められたのは、六年前に師匠に誉められて以来だった。
しかもこの娘は、思ったことをそのまま口にする、天津神々級の素直な心の持ち主だ。
つまり、真由からしたら、僕はお世辞でも何でもなく、本当に薬師としての能力があるということになるのだ。
「そ、そんなっ、僕なんかまだまだ・・・・。」
「いえ、陽由真さんはそのうち大きな人になります。きっと!」
ま、まずい。このままじゃ、緊張と興奮と赤面で熱がでてしまう。
僕は急いで朝食をたいらげた。
「ご、ご馳走様でしたっ。おいしかったよ。ありがとう、真由。」
そう言って、食器を軽く水で洗って片付けて、庭園の植物に水をあげるために、裏庭へ向かった。
「真由、薬棚の整理、頼むな。」
「はーい。」
真由の元気な返事を、背中で聞きながら。
庭園の植物に水をあげるのは、僕の毎日の日課となっている。
数年前から始めたことなのだが、それ以来、植物の魅力にとりつかれたようにいろんな草花を育てている。
もちろん、薬草を育てて、店に陳列して役立てたりもしている。
土をいじったり、緑を眺めていると、まるでそれらが友達のように思えてきて、愉快な気分にさせてくれる。
裏庭に来た僕は、太陽を眺めた。
僕の家は、裏庭の方が玄関よりも陽当りがよい。
う〜ん、建築間違えたかな?
ぽけ〜っと太陽を眺めていると、いい加減に眩しくなってきたので、視点を次第に下の方・・・・・・・・桐生雲山に下ろしていった。
すると、僕の眼に、桐生雲山の中ほどにある、まわりと比べて一際目立つ大きな桜の樹が入ってきた。
きれいだ・・・・・・・・。
なんと表現していいかわからなかった。
あの桜は、花だけでなく、樹全体が桜で、それを大昔から、自分だけで表現してきている・・。
そんな気さえした。そう、自分だけで。
おっと、いかんいかん。
早く草花たちに水をあげなければ。
僕は急いで水を汲んできて、丁寧にまんべんなく、植物に水をあげた。
「ふぅ、頑張って花を咲かすんだぞ。」
声をかけてあげれば、花は元気に育つ、なんて迷信じみたことを僕は励行している。
これで少しでも、花の為になると思えば、なんでもない。
もう二度と、咲かない花なんて、見たくないから。
第九話につづく
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